2026年4月27日月曜日

2026.4.5 本日の宣教

 『キリストと共に死に、共に生きる 』 

           ルカによる福音書24章5~6節、ローマの信徒への手紙6章5~11節

イースター、おめでとうございます‼ この朝、主の復活を共にお祝いできることを心から感謝します。

2000年前のあの朝、婦人たちは愛する主イエスの十字架の死を受けて深い悲しみの中にいました。彼女たちが手に持っていたのは、死体に塗るための香料です。彼女たちが期待していたのは、愛する主の「なきがら」との再会でした。つまり、彼女たちの視線は「死」という動かしがたい現実、過去という行き止まりに向けられていたのです。その時の御言葉に耳を傾けましょう。

「婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。『なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。』」

「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか」。  これは単なる居場所の確認ではありません。私たちの信仰の向きを、根本から変えさせる問いかけです。「イエス・キリストは、そこにはおられません。墓の中にはおられません。」・・・主イエスは、十字架の死をもって私たちの罪を背負い、三日目に死の力を打ち破って復活されました。墓は空であり、主は今も生きて、私たちと共に歩んでおられるのです。そして、この「復活」という出来事は、歴史の中で起こった確かな出来事でありますし、単なる歴史上の奇跡で終わるのではありません。

使徒パウロはここで、「もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿 にもあやかれる」と語ります。これは単なる未来の希望ではありません。キリストの十字架によって、私たちの古い人が死んだならば、同じくキリストの復活によって、私たちも同じく復活の姿に生かされることになるのです。

ですから、イースターは、ただキリストが復活されたという出来事を記念する日ではなく、キリストの復活が「私たち自身の復活」となっていることを喜ぶ日です。「罪に縛られていた古い生き方は終わりを告げ、今や私たちは神に対して生きる者とされた」という福音がここに告げられています。つまり、復活は遠い出来事ではなく、今日の私たちの生き方を変える力なのです。弱さや不安、過去に縛られるのではなく、復活の主とともに新しく歩むことができる、これが福音の確かさです。

復活の主は今も生きておられ、私たちと共におられます。このお方に結ばれている限り、私たちの歩みは決してむなしくありません。どのような状況の中にあっても、新しい命が与えられ、永遠の希望が開かれているのです。

イースターのこの朝、私たちはもう一度確かめたいと思います。私たちはキリストと共に死に、キリストと共に復活するということを。その復活の命は、今すでに与えられ、とこしえまで、復活の主とともに新たな一歩を踏み出すことになるのです。                  ハレルヤ!


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