『 イエス救いの名のゆえに 』
使徒言行録4章10~12節
キリストの復活を体験した人を象徴する言葉は、「変化」です。復活の主イエスに出会った人は、例外なく大きな変化を経験します。「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者である」(Ⅱコリント5章17節)とあるように、古いものは過ぎ去り、新しい命が始まるのです。たとえ外なる人が衰えても、内なる人は日々新たにされていきます。
この「変化」を最も劇的に示した人物がペトロです。彼はイエスの弟子でありながら、捕らえられた主を前に恐れ、「あんな人は知らない」と三度も否認した臆病な人物でした。しかし、使徒言行録4章では、同じペトロが最高法院の前に立ち、恐れることなくこう宣言します。「ほかのだれによっても、救いは得られません」。かつての彼からは想像できない姿です。
なぜ彼はこれほどまでに変えられたのでしょうか。第一に、復活という事実です。ペトロは、十字架の絶望の後に復活の主と出会い、「死さえも神の力に打ち勝てない」と確信しました。この事実が彼の人生の土台となり、恐れを乗り越える力となったのです。
第二に、価値観の転換です。彼は「捨てられた石が隅の親石となった」という御言葉を通して、人間の評価ではなく神の評価に生きるようになりました。失敗者と思っていた自分も、神にあっては用いられる存在であると知ったのです。 第三に、「イエスの名」にある唯一の救いの確信です。これは排他的な主張ではなく、確かな救いを見いだした者の喜びの告白です。溺れる者が一本の確かなロープをつかむように、ペトロはこの名にすべてを委ねました。
聖書は今日、私たちに告げています。ペトロを臆病者から勇者へと変えた「イエスの名」の力は、今も全く衰えていないということを。
私たちもまた、この物語の外側にいるのではありません。ペトロを変えた同じ主が、今も生きておられます。 そして同じ御名が、今も私たちに与えられています。弱さを抱えたままであっても、この名のゆえに新しくされ、この名のゆえに立ち上がることができるのです。
「イエス、救いの名のゆえに」。この言葉が、単なる標語ではなく、私たち自身の生き方となるとき、そこに新しい人生が開かれていきます。ペトロのように、過去に縛られるのではなく、恵みによって押し出される歩みが始まるのです。
ペトロを劇的に変えたその同じ愛が、今日、神の家族お一人お一人にも向けられています。この「救いの名」に信頼して、「救いの名のゆえに」新しい一歩を踏み出そうではありませんか。ハレルヤ!
0 件のコメント:
コメントを投稿