『 神は愛なり 』
ヨハネの手紙一 4章7~21節
愛する小泉町キリスト教会の皆さま、はじめまして。
私は韓国・済州島にある聖恩教会の黄仁生(ファン・インセン)牧師です。本日、皆さまと共に礼拝をささげることができ、本当にうれしく、感謝しております。
皆さま、この世で最も大切なものは何だと思いますか。それは、愛です。
アメリカの神学者マッケンジーはこう言いました。「この世で最も孤独なのは、愛のない人の心である」と。人が生きるか死ぬかは、愛によります。多くの愛を受けると、人は幸せになります。
ある病院の新生児室で、興味深い調査結果がありました。同じ環境であるにもかかわらず、ある赤ちゃんは健康に育ち、ある赤ちゃんはそうではありませんでした。
調べてみると、入口近くにいる赤ちゃんたちは、看護師の出入りが多く、よく触れてもらっていました。一方、部屋の隅にいる赤ちゃんたちは、触れてもらう回数が少なかったのです。大切なのは場所ではなく、愛でした。愛を多く受けると生き、愛を受けなければ死んでしまいます。
問題は愛、しかも十分な愛です。では、その十分な愛とはどのような愛でしょうか。「愛さない者は神を知りません。神は愛だからです。」…その愛とは、神の愛です。この愛だけが、真実で十分な愛なのです。
神の愛は、過去だけの愛ではありません。今も愛し、これからも変わらず愛し続ける、永遠の愛です。昨日も、今日も、そして永遠に変わらない愛です。
日本社会では「義理」を大切にすると聞いています。それは責任や義務を果たすことです。それも大切なことですが、神の愛は義務や責任ではありません。条件がありません。
私たちが善いから、完全だから、神が愛してくださるのではありません。神はただ、私たちを愛しておられるのです。なぜなら、神ご自身が愛だからです。その十分な愛は、同時に最高の愛でもあります。それは、イエス・キリストをこの地に遣わされた愛です。
神が私たちを愛してくださったゆえに、私たちの罪のためにイエス様は十字架で死なれました。大切なのはこの順番です。私たちが神を愛したのではなく、神が先に私たちを愛してくださいました。神の愛とは、自分が生きるために死んだという愛ではありません。他の人を生かすために死んだという愛です。これが、神の愛です。
愛する富山小泉町キリスト教会の皆さま、神は愛です。先に近づいてくださる愛です。その愛によって、神はイエス様をこの地に遣わされました。イエス様は、私たちのために十字架で死なれました。それによって、私たちは生かされました。今、私たちが生きているのは、その愛を覚えながら生きるためです。そして、私たちもその愛を実践して生きるのです。ハレルヤ!
0 件のコメント:
コメントを投稿