2026年1月4日日曜日

2025.12.21 本日の宣教

   『 アーメンの後に来るもの 』

                ルカによる福音書2章8~20 節

メリークリスマス!!!

私は前回、アドベントの季節が、私たちの内に「アーメン」を生み出す「アーメンの季節」であることを分かち合いました。「本当にそうです」「御心のままになりますように」という、神への全的な信頼を込めた告白の言葉が「アーメン」です。それは単なる形式的な結びではなく、心と人生を神に委ねる決断の表明なのです。

救い主を待ち望むこの期間は、静かに心を整え、神の約束に耳を澄まし、「アーメン、主よ、あなたのみ心を受け取ります」と応答するための時です。闇が深まる冬の中で灯される一本一本のろうそくは、神の光を信じて待ち望む信仰そのものを象徴しています。

クリスマスの物語を思い起こすとき、そこには数えきれないほどの「アーメン」が折り重なっていることに気づかされます。まず、主イエスご自身が、父なる神の救いのご計画に「アーメン」と応え、へりくだってこの世に来られました。そのアーメンがなければ、クリスマスは存在しませんでした。またマリアも天使の告知に戸惑いと恐れを覚えながらも、「お言葉どおり、この身になりますように」と応え、ヨセフも、夢の中で示された神の導きを信じ、世間の目や自らの不安を超えてマリアを受け入れました。

では、本日登場する羊飼いたちはどうでしょうか。

羊飼いたちのアーメンの応答は、彼らが置かれていた現実を大きく越えて踏み出す決断でした。当時の羊飼いは、社会の中で決して評価の高い存在ではなく、人 目につかない場所で、夜通し働く日々を送っていました。責任をもって羊を守る彼らにとって、その場を離れることは、不安と危険を伴う選択だったはずです。それでも彼らは天使の知らせを聞いた後、「さあ、ベツレヘムへ行こう」と互いに声をかけ合い、動き出します。

羊飼いたちは、すべてを理解してから行動したのではありません。恐れや迷いを抱えたまま、それでも神の言葉を信じて歩み始めたのです。彼らのアーメンは、立場や常識、自己評価の低さを越えて、神の救いの出来事の中心へと彼ら自身を導きました。

この物語は、私たちにも問いかけています。「自分には無理だ」「ふさわしくない」「今は忙しすぎる」、そうした思いに縛られて立ち止まってはいないでしょうか。羊飼いたちの一歩は、今いる場所からでも、私たちが神の招きに応えて歩み出せることを、力強く示しているのです。

そのとおり、「アーメン」は祈りの終点ではありません。単なる心情的な同意で終わる呪文でもありません。むしろアーメンは、「これから始めます」という信仰の出発点です。祈りの中で神に心を向けた私たちは、アーメンをもって再び日常へと遣わされていきます。その言葉は、信仰を行動へと翻訳する合図のようなものなのです。

神と出会った者は、必ず動き出します。アーメンとは、神と出会った者が歩み始めるための言葉なのです。アーメン。それは終わりの言葉ではなく、神とともに生きる物語の、新しい一章の始まりなのです。ハレルヤ!


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