2025年8月25日月曜日

2025.8.10 牧師室便り

 「いつどのようなときも」

「どのようなときも、わたしは主をたたえ、わたしの口は絶えることなく賛美を歌う。」(詩編34:2)

本日、牧師夫婦は韓国の光明市にある教会を訪れ、宣教奉仕をさせていただきます。もともと予定していたスケジュールではなかったため、戸惑いもありましたが、これもまた神の導き、そして主の命令であると信じて、与えられた御言葉をお伝えし、富山に戻りたいと思っております。

ふと心に浮かんだのは、私は富山の小泉町キリスト教会の牧師であると同時に、いつ、どこにいても神の御言葉を伝える者である、ということです。すべての場所が、神がおられる場所であり、神の聖霊が働かれる場所である、ということを改めて思わされました。私は富山にいるときだけが牧師なのではなく、たとえアメリカにいても、中国にいても、アフリカにいても、その場所が神の栄光を現すために備えられた場所であり、神が不思議な出会いを通して私を用いられる時なのだと信じています。

聖書の中にも、思いがけない出会いが与えられ、そこから新たな神の御業が始まっていく子が多く記されています。これから夏の期間を利用して旅に出られる方々のことを覚え、出かけられるそれぞれの場所において、神と共に歩み、キリスト者として神の栄光を表していただきたいと願っています。そしてぜひ、それぞれが置かれた場所での出会いや交わりを通して得られた恵みを、富山に戻ってから、小泉町教会の神の家族の群れの中で証ししていただければ幸いです。

この厳しい夏の日々が、神の家族お一人おひとりにとって、恵みの時、神を深く体験する時、そしてそれぞれの場所で神の栄光を現す夏となりますように。そして何よりも、苦しむ人々のために執り成す者として、それぞれが良き役割を担ってくださるよう願っております。

それでは、来週お会いしましょう。聖霊の守りが、神の家族お一人おひとりと共にありますように。

シャローム!



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