2025年5月15日木曜日

2025.4.20 本日の宣教

 『なぜ、復活の主を死者の中に捜すのか』

                        ルカによる福音書24章1~8節

キリスト教は「復活の宗教」とよく言われます。この「復活の宗教」という言葉が示しているのは、それだけ「復活」という事柄が、キリスト教の中で非常に重要な位置を占めているということでしょう。もし復活を取り除いてしまえば、キリスト教はその土台を失ってしまい、成り立たなくなります。それほどまでに「復活」は、キリスト教の礎であり、核心となる極めて重要な事実なのです。

そしてそれは、キリスト教の土台であるというだけでなく、私たち一人ひとりの人生の土台でもあり、私たちの人生は復活信仰の上に築かれているのです。

聖書が語る復活に関するメッセージは、大きく分けて二つあります。第一は、「復活は歴史的事実である」ということ。第二は、「だからあなたたちも復活するのだ」という約束がそれです。つまり、私たちも復活するし、この復活には実際的な力があるというのです。

主イエスが十字架で息を引き取られたとき、弟子たちは失望し、散り散りになりました。しかし、イエスに従っていた婦人たちは、安息日が明けるとすぐに香料を持って墓へ向かいました。彼女たちの行動には、イエスを慕う愛と献身が表れています。しかし、確かに彼女たちは「死んだイエス」を求めて墓に行ったのであって、彼女たちの信仰は、まだ復活を受け入れることができていなかったのです。

墓が空であることに困惑する婦人たちの前に御使いが現れ、こう語ります。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか」この言葉は、復活の事実を示すと同時に、信仰のあり方を問いかけています。彼女たちはイエスの死 を受け入れていましたが、以前主イエスから聞いていた復活の出来事を信じることができていませんでした。

御使いは、主イエスがかねて語っておられた言葉、「人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている」(7節)というお話しを思い出させます。そうです。信仰とは、単に知識を持つことではありません。主イエスの言葉を信じ、それに生きるということです。私たちも、時に神の約束を忘れ、不安や恐れの中で迷ってしまうことがあります。しかし、神の御言葉は決して変わらず真実です。主が「復活する」と約束されたなら、それは必ず成就するはずです。

婦人たちは、御使いの言葉を聞いた後、主イエスの言葉を「思い出した」と記されています。彼女たちは、主イエスの語られたことを再び心に刻み、希望を持つことができました。この主イエスの言葉を「思い出す」という行為は、信仰の回復と奇跡へとつながります。

愛する神の家族の皆さん。私たちは、人生の困難や試練の中で神の約束を忘れがちです。しかし、主イエスの御言葉を思い起こすとき、信仰は新たにされていくのです。今私たちがすべきことは、死の墓を探し求めることではなく、復活の約束くださって、今も生きて働かれる主を信じ、共に歩むことです。

本日は故T姉の納骨式を執り行うためにお墓に向かいます。ぜひ、心に刻むべきは、お墓は死の場所でなく、復活と命の場所であるということです。ハレルヤ!


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