「受難週に思うこと」
アメリカのトランプ大統領が就任して以来、世界は大きな混乱に陥っています。「アメリカ・ファースト」という方針のもと、貿易戦争が世界各地で繰り広げられています。しかし、それだけではありません。戦争は依然として続き、自然災害も重なって、世界経済や人々の生活は次第に追い詰められています。
このような経済危機の中で、最も苦しむのは富裕層ではなく、一般庶民、特に貧しい人々です。彼らにとって命綱となる生活の基盤が、今まさに断たれようとしているのです。目を開ければ、電気代・水道代・ガス代が軒並み上がり、私たちの主食であるお米の価格も昨年の2〜3倍に高騰し、食事をとることさえ困難になってきています。
まるで、聖書に記されている「マナ」のような、神からの恵みを求める時が来ているように感じてなりません。荒野を旅したイスラエルの民は、神の恵みによって40年間、毎日マナを受け取り、生き抜くことができました。神は必要な分だけのマナを日々与え、多く集め過ぎると腐ってしまいました。また、子どもや高齢者、病人のように自分で取りに行けない人のために、他の者が代わりに集めることも許されていました。
そこには、「皆が等しく分かち合い、日々の糧そのものが神の恵みである」という深い教えが込められています。
現代の世界はまさに、主イエス様が語られた「終わりの時」、すなわち国が国に、民族が民族に敵対し、愛が冷えていく時代へと進んでいるように思えます。
受難週を迎えるにあたり、神の家族一人ひとりが、世界の人々や国々に向けて、すべての人が神に愛される子どもであり、御子イエス・キリストの命という尊い贈り物を与えられた存在であること、そしてその人々が属する国々もまた救いを必要としていることを心に留め、十字架の証人として歩んでいきたいものです。シャローム!
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