『 あなたは富んでいますか? 』
(ヤコブの手紙 5章1~6節)
ヤコブは5章に入ると、「富んでいる人たち」に向かって「よく聞きなさい」と勧めます。この箇所は、キリスト者であるかどうかを問わず、富んでいる人全体に向けられた呼びかけであるように見えます。
聖書が語る富は、神の祝福であると同時に、やがて裁きの基準ともなります。そのため、富んでいる人たちは、やがて降りかかる裁きの厳しさのゆえに泣き叫ぶことになるのです(1節)。
富の概念は時代や文化によって異なりますが、ヤコブの時代における富んでいる人たちとは、食べ物や着物、金銀を所有する者たちを指していました。ヤコブは彼らに対し、「その富は腐っている」と叱責します(2~3節)。富は蓄えるものではなく、特に食べ物や着物は分け合うべきものであると聖書は教えています(ルカ12:16~20)。そうしなければ、それらは腐ってしまうのです。「虫がついた衣服」や「食い尽くす火」は、不義なる者への最後の裁きを象徴するイメージとして用いられています。
神の願いは、すべての人々がふさわしく分け合い、飢えることなく生きることです。これこそが創造の原理なのです。しかし、富んでいる人たちは富を蓄えるばかりで、施すことを知りません。そのため、彼らの富は腐り、着物は虫に食われ、ついには盗まれてしまうのです(マタイ6:19)。それだけでなく、何よりも神の裁きの火によって食い尽くされてしまうのです。
愛であり正義である神は、貧しき者の叫びを確かに聞い ておられます。神が耳を傾けておられる以上、主の正義が必ず成し遂げられることを確信できます。
現代社会においても、富んでいる者は尊ばれ、貧しく弱い者たちは差別を受け、苦しみにさらされています。社会正義はお金によって歪められ、貧しく弱い者は絶望の淵へと追い込まれています。
主イエスがそうであったように、キリスト教会が立つべき場所は、富んでいる者の側ではなく、貧しく苦しむ人、弱い人の側です。しかし、教会は歴史を通じて、しばしば権力者や富んでいる人々の側に立ってきたことを思い起こさなければなりません。正義なる神は、終わりの日に必ず権力者や富んでいる者、そして正義を失っていた教会を裁かれるでしょう。そのため、教会は現代の預言者としてのメッセージを告げなければなりません。
神の家族の皆さん、あなたは富んでいますか。その富はどのように使われていますか。その富は今のあなたに祝福ですか。重荷ですか。富はすべて神から来ていることを認めつつ、私たちの富をもって神の栄光を現したいものです。
最後に主イエスの富についての定義を聞きましょう。
「富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。(マタイ6:20~21)」
0 件のコメント:
コメントを投稿