2024年9月18日水曜日

2024.8.4 本日の宣教

  『 逆説の福音による平和 』     

                  ヤコブの手紙1章9~11節

今までキリスト者にやってくる試練についてどう受け止めるべきか、また試練に向かってキリスト者はどう祈り、どのように試練を通して神の栄光を表すべきかについて学びました。そのような中でヤコブは突然、貧しい兄弟と富んでいる者の話に移ります。おそらくヤコブが手紙を書いていた教会、つまり宛先の共同体に貧富の問題が生じていたことを垣間見ることができます。

ヤコブは手紙の中で、貧しさと富がキリスト者の試練の現場と結びついていることを記します。貧しさと富は私たちの信仰を成熟させたり、または失望させたりする道具として用いられることを覚えます。私たちの日常生活の中で私たちを一喜一憂させるお金の問題について、ヤコブは驚くべきことを伝えます。 

「貧しい兄弟は、自分が高められることを誇りに思いなさい。また、富んでいる者は、自分が低くされることを誇りに思いなさい。富んでいる者は草花のように滅び去るからです。(1:9~10)」

これは主イエスの山上の説教の「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。(マタイ5:3)」の御言葉とつながっていることが分かります。ヤコブは「貧しい兄弟」に「自分が高められることを誇りに思う」ようにと勧めます。これこそ、この世の価値観ではなく、神の国の価値観によって生きるキリスト者に与えられる逆説的な恵みです。この世において経済的に貧しい境遇にある兄弟は、キリストにあって、キリストのゆえに霊的に富んでいて、神の国をいただいた神の子どもとして高められることが約束されていることを宣言します。そのことを誇りに思いつつ、今を生きることを勧めているのです。

これとは対照的に、この世において富んでいる者に対して、「自分が低くされることを誇りに思う」ようにと勧めます。「低くされること」とは、卑しさを意味します。この卑しさは、神の御前でのへりくだった態度を指します。富んでいる者が自分の低くされることを誇りにする理由は、彼の人生が草花のように滅び去って行くからです。この世における富も、権力も、みな過ぎ去って行くものです。しかし、私たちは多くの場合、神に拠り頼むよりも、富に拠り頼んでしまいます。そこでヤコブは富というものは草花のようにはかないものであって滅び去ってしまうと警告します。ですから、富んでいる人は神の国をいただくためにへりくだり、霊的な貧しさを覚え、自分が低くされることに誇りを持つようにと心がけながら生きなければなりません。

8月は平和を覚える時ですが、今現在も世界各地において戦争が広がっていることに心が痛みます。その戦争の大きな原因となっているのが、「富」の問題であることを忘れてはなりません。人類の歴史において、「富」のゆえに戦争が起き、「富」のゆえにテロが続き、争いが絶えないことを目の当たりにしています。あなたは何を誇りとしていますか。草花のような富ですか。永遠なる神の国の栄光ですか。…ハレルヤ!



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