『 希望の神から喜びと平和が 』
ローマの信徒への手紙15章13節
本日の御言葉は、ローマの信徒への手紙の祝祷に当たる箇所です。これは、使徒パウロがキリスト教会の皆に贈る心を込めた祝福の祈りでした。パウロがいかに神から与えられた希望を大切に抱き、その希望を育み、希望に満ち溢れて生きていたのかがよく分かります。
神の家族の皆さん、あなたはどんな「希望」によって生活しているでしょうか。お金に対する希望を抱く人もいれば、進学や就職、結婚、老後に対する希望を持つ人もいるでしょう。…この「希望」というものは、クリスチャンであっても、ノンクリスチャンであっても関係なく求められるものであり、生きるために必要不可欠なものであると言えるでしょう。
社会心理学者のエーリッヒ・フロムは、人間を「希望する存在」と定義しました。そうです。人間は夢と希望を持つことで初めて人間らしく生きることができるのです。人間と動物の違いは何でしょうか?動物は食べ物さえあれば生きていけます。しかし、人間は食べ物だけでは生きられません。希望を糧にし、夢を持ってこそ人間らしく生きることができるのです。また、有名な実存主義哲学者キルケゴールは、「絶望こそが人間にとって最も恐るべき『死に至る病』である」と述べました。…人が希望を失ってしまえば、死んで当然の状態になります。…現在の日本社会では、毎年2万人を超える人が自ら命を絶っています。その理由の根本には、「希望」を失ったということがあるのでしょう。…希望を見出そうと切に求めたが、その希望を見出せなかったために、絶望してしまったのでしょう。
それでは、本日の御言葉に耳を傾けたいと思います。
まず、パウロは「希望の源である神が」という表現を使っていることから、神を信じるキリスト者は神からの希望がなければ生きていけない存在であることを伝えています。これを逆に言えば、希望のない人は死んでいる人であるということになるでしょう。そこでパウロは、真の希望の源である神から、真の喜び、真の平和をいただきなさい!と勧めているのです。
パウロは、「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和であなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。」と祈ります。ある注解者は、パウロが語るこの希望について次のように説明しています。「パウロがここで言及している希望とは、異邦人がユダヤ人と共に真の唯一の神を讃美することである」と。ユダヤ人と異邦人が共に神を讃美すること、それが13節でパウロが祈った希望の具体的な姿であるというのです。ユダヤ人であろうと異邦人であろうと関係なく、神の御心に従ってすべての人が一つになって神を讃美し、神に栄光を帰すこと、これがパウロの祈りであり、パウロの希望であり、夢であったのです。
そこで求められるのが、何よりも「聖霊の力」です。私たちの力ではできないので、その力を求めるしかありません。パウロは祈ります。「聖霊の力によって希望があふれるように」と。神に栄光を帰す美しい教会になることが、私たちの希望となることを願います。ハレルヤ!
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