『 御言葉を行う人 』
ヤコブの手紙 1章 19~27節
今月の映画鑑賞では「良心の実弾~医師・中村哲が遺したもの~」を観せて頂きました。2019年にテロの凶弾に倒れたクリスチャンで医師の中村哲さんのアフガニスタンにおける人道支援などの働きを伝えるドキュメンタリー映画です。主イエスは言われました。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くしてあなたの神、主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二もこれと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者はこの二つの掟に基づいている。(マタイによる福音書22:37~40)」神を愛するとは神の掟を守ることです。(ヨハネの手紙第一5:3)「神を愛していると言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は目に見えない神を愛することが出来ません。」
神を愛するとは、神の掟を守ること。神の掟とは御言葉を行うこと。しかし私にとって「御言葉を行う」とは容易なことではありません。祈りをとってもしっかりと行えていると胸を張って言えない自分がいます。この映画には、そんな私に「御言葉を行う」為のヒントが散りばめられています。映画の冒頭で衝撃的な写真が映し出されます。地べたの泥水を啜る幼い子供の姿です。沢山の子供たちが不衛生な環境の中で命を失うのを見かねて「安全な水」を求めて井戸を掘ります。当初は素人が井戸を掘っていれば、世界が注目し、手を差し伸べて貰えるかもしれないと考えていましたが、どこからも支援が受けられず「世界中から見棄てられた」と言います。やむにやまれず井戸を掘り続けて、その結果、八百の井戸を掘り、六百本以上で水を得たといいます。医師である中村さんが、重機を操り造った用水路によって砂漠が緑の農地に変わる様子は正に聖書的奇跡であり、主の業、主の栄光と言わざるを得ません。中村哲さんの偉業を見たとき、同じようには出来ないと思ってしまいますが、私には私に与えられているご計画や使命があるということを知り、目の前の1つを丁寧に「行う」を目指したいと思います。中村哲さんは「語る前に動く」人だったそうです。信仰者の「主に従う」姿勢を表しておられました。
私たちの希望は死んで終わりではないということです。「イエスは言われた。『わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていて信じる者はだれでも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。(ヨハネによる福音書11:25~26)」中村哲さんの昇天は寂しいことで残念なことではありますが、復活のときにはお会い出来ることを期待しています。まず目の前の未だ救われていない方にこのこと、希望の福音をお伝えしたいと思います。私たちの務めは主の戦い。全ての誉れと栄光を主がお受けになりますように。御名が褒め称えられますように。
坂上幸男
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