『 塵さえも美しい 』
詩編139編13~18節
母の日、おめでとうございます!!!私たちを愛し育ててくれた母親に感謝し、世界の母親に神の祝福が豊かに注がれることを祈ります。
私たちが信じる三位一体の神の中で、母なる神の本性をもって示される方が聖霊です。私たちの母親が子どもたちに時には友のように、時には教師のように、時にはアドバイザーのように関わっているのと同じように、聖霊なる神は私たちに母親のように寂しい時に温かく抱きしめ、失望した時に勇気を与え、疲れ果てた時にはやさしく声をかけてくださる存在です。
聖書が教える聖霊は、ヘブライ語で「ルーアッハ」、ギリシャ語で「プニューマ」と発音します。 どちらも 「息」「風」「霊」を意味し、「命」の源として紹介されています。
まず、天と地、宇宙万物を造られた創世記の天地創造の物語の中で、最初の人間を造られた時、神は塵の塊である土をもって、神の似姿に似せて造られました。しかし、形だけは出来ていても生きる者にはなりませんでした。人間の鼻に命の息を吹きかけられたことによって生きる者になったと記しています。その時の息吹きこそ聖霊であり、まことに聖霊が吹きかけられるところに、新たな命が生まれるのです。
本日の聖書の御言葉には、神が私たちをどれほど愛しておられるか、私たちが偶然この地で生きているのではなく、神の細やかで驚くべき創造の働きがあったことについて記されています。
その神の創造の業の中で「母の胎内に組み立てられ、驚くべき作品として造り上げられている」ことを讃美しているのです。そして、その神の創造の業に加わってくれた存在こそ、私たちの母親です。
「作品」という言葉はギリシャ語で「ポイエーマ」と言います。この言葉は誰かの働きによって生み出されたものを意味します。またはオリジナルなもの、一つしかないもの、特別な、質が高いとも訳することができます。この世では同じ規格の製品が工場で大量に生産され売られますが、そうした製品とは全く異なるものが、神が造られた世界に唯一の作品であるあなたと私なのです。
その創造の業は今もなおなされていることを聖書は約束していますし、その創造の業こそ、聖霊によって行われているのです。
聖書は私たちをほこりや塵のような存在だと表現しています。しかし、その塵の上に聖霊の息吹きが吹きかけられ、栄光の光が当たると、美しい作品に変わるのです。
母の日を迎える神の家族の皆様。私たちの日々の生活の中で、母のように優しく語りかけ、命の息吹きをもって交わってくださる聖霊に触れていただき新しく変えられる喜びに満たされますように…。ハレルヤ!
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