~ 騒音の中から祈る恵み ~
先週は、牧師館の向かい側の家の解体作業によってうるさく落ち着かない日々でした。地震のような揺れが一日中何度もありましたね。
水曜祈祷会の時には聖書の御言葉の黙想にも支障を及ぼすほどの騒音が響き渡っていましたしね。しかし、不思議なことにうるさい機械音に慣れると、黙想することに全く影響することはありませんでした。
私たちは生活の中の様々な騒音(ノイズ)に悩まされます。しかし、騒音は気にすればするほど大きくなってくる特徴をもっています。むしろ無視して御言葉と祈りに集中すれば、かえって恵みに変わるでしょう。
皆さんは一日中、どんな音に心を奪われているでしょうか。能登半島地震後、保険会社や建築関係の会社で働いている方々は毎日が電話対応で覆われてしまい、電話の着信音がなるだけでノイローゼの症状が出るのではないでしょうか。
神の家族の皆さん、受難節を過ごしながら、主イエスの受難の道をともに歩んでいるでしょうか。イエスの公生涯は40日間の荒野での断食と祈りから始まりました。特に、主イエスの毎日は人里離れた場所で祈ることから始まり、祈りをもって一日を終えられたことを知っています。
そして、十字架にかかる前の夜、ゲッセマネの園で父なる神に向かい、「アッバ、父よ」と血の汗を流されながら祈られた主イエスの切なる姿を覚えています。
愛する神の家族の皆さん、皆さんの祈りの生活を妨害する騒音はどのようなものがあるでしょうか。その騒音に影響受けず、神との祈りの交わりがもてていますか。
2024年の受難節を過ごす神の家族の皆さんが、主イエスに倣い父なる神との祈りの座へと近づくことができますように…。この世の騒音の只中でも、神の御声を聞くことが出来るように霊的訓練を欠かすことがないようにしましょう。そのために、ぜひ礼拝堂での祈りを慕い求める神の家族となりますように…。シャローム!
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