2024年4月17日水曜日

2024.3.31 本日の宣教

 『 毎日が復活祭 』

                ローマの信徒への手紙6章4~11節

イエス・キリストの復活はキリスト教の最も重要な信仰告白であり、生命そのものです。主イエスの復活は、主イエスが神の御子であるという確かな証拠でもあります。また、復活によって十字架の福音が真実になり、イエスがキリストであるという告白が証明されることになるのです。しかし、主イエスの復活が真実であり事実であるということと同時に、キリスト者にとって大切な事実がもう一つあります。それは、復活した主イエスが私たちと共におられるということです。

私たちが主イエスの復活を他の人に伝える時、主の復活が事実であるという証拠を語る必要があります。その時私たちに求められることこそ、復活した主イエスが本当に私たちと共におられるという信仰であるでしょう。さらに、主イエスが復活なさっただけでなく、その復活の主が、今も私たちと共におられるということを信じるが、復活の主を信じることにもなるのです。そして、この信仰こそが私たちの人生を変える力となるわけです。

この事実の上で、本日の宣教を準備しながら示された素晴らしい恵みがありました。それこそ、私たちキリスト者には、毎日がイースター、毎日が復活の主と共に歩む復活祭であるという事実です。復活なさった主イエスが生きて私たちに語りかけられ、豊かな交わりの恵みを与えてくださるということは復活を信じなければ決して得られないものだからです。

イエス・キリストが死を打ち破り墓からよみがえられ勝利者となられたのは、ただ死の支配を打ち破られたという意味だけではありません。イエス・キリストを救い主として受け入れた者は皆、復活の力によって生きることになるからです。私たちはパウロが語っているように、主イエスを信じてバプテスマを受けました。バプテスマとは一つになることを意味します。私たちがバプテスマを受けることで、イエス・キリストと一つになりました。

パウロは、私たちが二つの意味でイエス・キリストと一つになったことを教えます。まず、主イエスと共に死んだゆえに一つになったことであり、次に、主イエスの復活と共に一つになったということです。そしてその証しがバプテスマなのです。…「わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。(8節)

私たちの毎日の生活が復活祭であるべき理由は、私たちが肉体を持っているからです。私たちは毎日罪の誘惑にさらされ、死んでしまうことを経験します。

聖書は、イエス・キリストが十字架で死なれたとき、私たちも死んだと教えます。その死を信じ、十字架を信じる者は「復活」の奇跡を体験することになるのです。「…このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。(11節)…」したがって、私たちは死んでイエス・キリストとともに生きる十字架と復活の歴史が毎日続くことになるのです。

復活された主イエスは、今この瞬間にも私と共にいます。復活信仰は主イエスの復活の出来事を信じるだけでなく、復活された主イエスとともに生きることであることを一時も忘れてはならないのです。ハレルヤ



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