2024年4月17日水曜日

2024.2.25 本日の宣教

  『 主の慰めを受けて 』    (コリント信徒への手紙二 1章3~7節)

能登半島地震の発生から二ヶ月になろうとしています。地震直後から家族を喪った被災者の方の悲しみを、報道を通して見聞きしています。被災者の「なぜ?」という問いに言葉を失います。土砂崩れによって妻と四人の子供たちをあっという間に喪った男性にどんな言葉がかけられるでしょう。まるでヨブ記にあるヨブのようです。ヨブは、シェバ人の襲撃により多くの牧童を殺され、天からの火によって羊と羊飼いのほとんどを失い、更に大風で長男の家が倒れて息子や娘たち全員が死んでしまうという悲劇に見まわれます。(ヨブ記1章13~19節)

聖書の御言葉には一度読んだだけで心にすんなり受け取れる言葉も有ればすぐには理解しにくい言葉もあります。先日もある兄弟から「もし、誰かがわたしのもとに来るとしても、父、母、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。(ルカによる福音書14章26)」という言葉に困惑していると聞きました。私自身、「それほどまでに主イエスに従う覚悟」を求められているのだと思いながらも完全に理解しているとは言えません。「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。(コリントの信徒への手紙第一10章13)

先日、息子が自動車事故を起こした時、息子が手の届かないところに行ってしまう恐怖を覚えました。またそれと同時に5年前亡くなった兄のことが思いだされ苦しくなりました。本日の御言葉には「神は、あらゆる苦難に際して私たちを慰めて下さるので、私たちも神から頂くこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることが出来ます。」とあります。私たちが信じる方は出来ないことが何一つ無いかたです。「イエスは言われた。「私は復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」(ヨハネによる福音書11章25~26節)」

震災復興支援に際して先ず心を落ち着けて主の慰めを頂きましょう。傷み、悲しみ、憂い、恐れ、そして怒りをも主に預けましょう。人としての同情や施しも良いことですが、主の励ましと慰め、十字架の贖いを与えられた者には更に良い働きが出来るでしょう。慰め主、癒し主、愛なる方、主が褒め称えられるように、私たちに何が出来るのか主の知恵を求めましょう。周りの大切な方々に神様の愛をお届けできますように。主の栄光がとこしえにありますように。                                  

                             坂上幸男



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