『 だから、恐れるな 』
マタイによる福音書10章26~31節
本日の御言葉には、イエス様が12弟子を選び、伝道へと派遣される際の教えが述べられています。特に、伝道へと遣わされる弟子たちに対して、イエス様は「恐れるな」と語りかけられます。なぜならば、弟子たちが福音伝道をすることのゆえに、この世の権力者たちによる迫害を受けることになるからです。そのことについてイエス様は「狼の群れに羊を送り込むようなものだ。(16節)」と表現しておられるわけです。
その時、イエス様が弟子たちに叫ばれる御言葉があります。それこそ「恐れるな」という力に満ちた言葉です。イエス様は、本日の6節の御言葉中で、「恐れるな」という言葉を3回も使われています。
この世は絶えず、神の子どもたちの心に「恐れ」という細菌を撒き散らします。 その恐れこそ、キリスト者に差し迫る迫害と死に対する恐れです。実際、12弟子や初代教会のキリスト者たちは当時の政治権力から迫害を受け、多くの者が殉教の道を辿りました。そしてこのことは、2000年前の12弟子や初代教会の信徒たちだけに限ることではありませんでした。イエス様の「恐れるな」と言われる言葉の対象として、今の時代を生きる私たちにも同じく語りかけられている励ましの言葉であることを覚えるべきです。今まで暗闇の中で、覆われ隠れていた福音を明るみに出し、屋根の上で言い広める時が訪れるので、その時はイエス様に遣わされた者として「体を殺しても、 魂を殺すことのできない者どもを恐れず(28節)」大胆に宣べ伝えることを命じておられるのです。なぜならば、この世の権力者たちは体を殺すことはできても魂までも殺すことは出来ないからです。その通り、この世の権力者たちはイエス様を十字架にかけて殺しましたが、しかし、その魂までも殺すことはできませんでした。そして、神は十字架の上で死なれたイエス様を復活させられたのです。
イエス様は、本当に恐れるべき方である神を見るようにと私たちに勧めながら、そのしるしとして「二羽の雀と一本の髪の毛」を用いられます。天地万物を創造され、支配しておられる神、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる神が、「あなたがたの父」である。その方が、福音伝道に励む神の子どもたちの髪の毛一本までも残らず数えておられるほどに愛され、大事に守っておられることを約束されている。「だから、恐れるな」と勇気づけてくださるのです。
今日は「信教の自由を守る日」であり、14日(水)からはイエス様の受難節(レント)に入ります。愛する神の家族の皆さん、神を恐れながら生きるということは「世界を創造され、人の生と死を治めておられる神を恐れ、神の主権を日々の生活の中で認めながら、御心を生きる」ことを意味します。願わくは、死を打ち破り、復活を成し遂げられた主イエス・キリストを真心から恐れ、十字架と復活の信仰を生きる者として、この世の悪しき力に振り回されることなく勝利者としての歩みを続けることになりますように…。ハレルヤ!
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