2024年1月24日水曜日

2024.1.7 本日の宣教

 『山が移り、丘が揺らぐことがあっても』          

                                                                 イザヤ54章10節

新しい年を迎え、希望と決断の思いを抱くこの時、突然襲ってきた大地震、さらに羽田空港で起きた航空機衝突事故、そして隣の韓国で起きた野党の有力政治家を暗殺しようとしたテロ事件など、衝撃的な出来事が多発しています。これに加え、二つの戦争がさらに激しさを増しているような状況で、今年の世界情勢の不確かさが気になります。このような世界状況を見つめながら、キリスト者に求められる姿こそ、創造者であり世界を治めておられる神にさらに近づき、御心を求めることであると思います。

さて、能登半島地震による衝撃を黙想しながら示されたのがイザヤ54:10です。

山が移り、丘が揺らぐこともあろう。しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず、わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないと、あなたを憐れむ主は言われる。

本日の御言葉はいわゆる第二イザヤ書(40章から55章)の後半部分で、バビロンに捕囚されているイスラエルの民に対する神の約束の言葉です。イスラエルの罪と悪に対する神の裁きとして、イスラエルはバビロンに滅ぼされ、イスラエルの民らは捕虜として連れ去られることになっていました(バビロン捕囚)。そして時が流れ、神はイスラエルに対する愛と憐れみをもって、彼らに新しい約束を与えられます。

とりわけその約束とは「山が移り、丘が揺らぐことがあっても」神の慈しみはイスラエルから決して移らないということでありました。それでは、ここで語られる山と丘はどのような意味をもっているでしょうか。…昔からイスラエルにおいて山は神が創造されたものの中で最も確かなものとして、決して変わることも、揺らぐこともないものの象徴として用いられてきました。しかし、聖書は、本日の御言葉を含め、いろんなところで山々は決して絶対的なもの、永遠のものではないことを教えます。なぜならば、それらすべては天と地を造られた創造者の被造物の一つに過ぎないからです。

 この地上において、確かなもの、決して変わることなく、いつもそこにいてくれるものと思っているものがあるとすれば、それは幻想を抱いているのであり、錯覚、騙されているのです。お金も、健康も、人も、知識も、国も、八百万の神々も、みな消え去ってしまうものであることを悟ることです。私たちの真の神以外、決して変わらないもの、揺るがないものはないことを心に刻みましょう。

そして預言者イザヤはここで、決して変わることのないものについて教えます。「山が移り、丘が揺らぐことがあっても、決して変わることのないもの、それこそ、神の慈しみだ」と、「神様と結ぶ平和の契約だ」とはっきりと示してくださるのです。ここで言われる「慈しみ」こそ、神の愛を示す「ヘッセ-ド」です。「ヘッセード」とは「神との契約における決して変わることのない愛」「誠実で真実な愛」のことを指します。神は真に、そのような絶対的な愛、慈しみをもって私たちと交わってくださるお方、揺るがない平和の契約を結ばれた方、

そして、さらに、私たち神の子どもたちを「憐れむ主」とであると紹介しています。ハレルヤ!




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