『難民となった聖家族』
マタイによる福音書2章13~18節
本日の聖書箇所は、イスラエルとパレスチナ戦争、またロシア・ウクライナ戦争によって生まれ故郷を離れ、世界をさまよう難民となった人々を前にして世界に向けられた御言葉として受け取るべきであると思います。すなわち、神ご自身、また主イエスが先に難民となられたことのゆえに、今苦しみの中にある人々の悲しみと涙をご存じであるということを描いてくれているからです
主イエスがベツレヘムの馬小屋で生まれた時、天体を調べていた東方の占星術の学者たちは王の星を見つけ、新しく生まれる王を礼拝するため王の星に導かれ数ヶ月の旅を経てユダヤに辿り着きました。しかし、誤って都エルサレムに入り王の誕生を尋ねたところで、ユダヤを支配していたヘロデ王と出会い、「ユダヤの王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。」と尋ねたところ、ヘロデ王は新しい王の誕生を恐れ、「自分も行って誕生した王を拝みたいので、誕生の場所を知らせてほしい」と学者たちに偽りの約束をすることになります。その後、幼子イエスに出会い礼拝した学者たちは、夢で主の使いからヘロデのもとに戻らないように指示され、故郷に帰ることになります。
また、主の使いは夢でヨセフに現れ、ヘロデの幼児虐殺の陰謀を知らせ、エジプトに逃れるようにと指示します。ヨセフはその夜すぐに立ち上がり、幼子イエスと母親を連れてエジプトに逃れました。歴史的にユダヤ人が生命の脅威にさらされる時には、度々エジプトに逃れていたことを聖書は記しています(エレミヤ書43:7)。そのため、エジプトの多くの町にはユダヤ人の居住地がありました。
しかし、学者たちに騙されたことに気づいたヘロデは、ベツレヘムに軍を送り、2歳以下の幼児たちを殺害するという参事を企みます。マタイはこの出来事をエレミヤの預言の成就として証言しています(エレミヤ31:15)。
マタイによる福音書の著者はベツレヘムの幼児虐殺の出来事と、主イエスのエジプト逃避の道を通じて、イスラエルの民らの苦しみと将来のキリストの生涯における苦しみの道の意味を垣間見させます。
私たちは難民となった聖家族の出来事を通して、父なる神はこの世のどんな脅威や試練の中でも必ず御心を成し、私たちへの救いの約束に応えてくださることを知ります。また、神は御自身の民らを世の脅威と危険から守ってくださるお方です。
今現在、世界各地には多くの人が戦争や権力者たちの脅威から逃れるため、愛する生まれ故郷を離れ難民の道を選んでいます。しかし、馬小屋の飼い葉おけに独り子を遣わされた神は、今も親や子どもを亡くし涙する難民たちを慰め、涙を拭ってくださいます。いかに深い悲しみと苦しみの中でも、神は共におられ救いの手を差し伸べてくださいます。だから、クリスマスを迎える私たちも難民となった人々、今も苦しみの中にある人々を慰めながら、彼らの中で働かれる神の愛を伝えて参りたいものです。ハレルヤ!
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