2023年12月26日火曜日

2023.12.17 本日の宣教

  『 飼い葉桶の前で 』          

                                                  ルカによる福音書2章1~7節

クリスマスは喜びの時です。救い主がお生まれになり、暗闇の世界の光としてやって来られたからです。そのため、人々は昔から「メリークリスマス!」と、喜びのあいさつを交わしながらクリスマスを楽しく祝ってきたわけです。

しかし、本日の御言葉を読むと、最初のクリスマスは決して「メリー」ではなかったはずです。今から2000年前、ベツレヘムの町に住民登録をするため辿り着いたヨセフは、妻マリアの出産の月が満ちていたため、岩に穴をあけて作った家畜小屋の飼い葉桶で、初めての子を産むことになりました。

そのみどりごこそ神の独り子、王の王、救い主でありましたが、宮殿でもなく、また立派なホテルでもない、汚い動物の臭いと汚れで溢れている場所、一度も人から関心を引くことなどなかったベツレヘムの家畜小屋でお生まれになったのです。聖書は教えます。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。(フィリピ2:6~7)」と。この御言葉の成就を象徴するのが、「飼い葉桶」です。神の独り子が天上の王座を捨てて、地上にやって来られた最初の場所が飼い葉桶であったのです。

神が人となられた。神の御子が飼い葉桶という最もみすぼらしい場所でお生まれになった。しかし、神はその飼い葉桶から救いの光を照らし始められました。

人はよく次のような言葉を口にします。「私のような罪人は神の前にいくことはできない。神は私のような罪人には関心をもっておられないし、私のような汚れた者は神の愛を受ける資格なんかないのだ。」と。…しかし、いかがでしょうか。独り子の誕生の場所を飼い葉桶に定められた神がそうされるはずはありません。まことに神は、この世のすべての人、どんなに弱く、汚く、傷だらけの人がいる所、みすぼらしく捨てられたような人の所に共におられるお方です。

 ルカは、飼い葉桶に寝かせた幼子を救い主として示すことによって私たちの頑なで汚れた心を砕き、その前でひざまずき、飼い葉桶の幼子から救いの光を見出す者になることを望んでおられます。

 だから私たちは、常に主イエスが誕生された「飼い葉桶の前」に立ち返るべきです。その飼い葉桶の前で主イエスを礼拝し、自分自身を献げ、ひれ伏すことです。

愛する皆さん、主イエスの飼い葉桶を訪れた人々のことを覚えていますか。野原で夜通し羊の番をしていた羊飼いたちと東方から来ていた占星術の学者たちであって、彼らは飼い葉桶のみどりごの前でひれ伏し、もってきた宝物を献げ礼拝しました。

独り子をこの世の飼い葉桶に送られた神は、昔も今も、汚く、貧しく、暗く、みすぼらしい場所に共におられ、飼い葉桶から光を照らし、愛と救いのメッセージを発信し招いておられます。その招きに応答して飼い葉桶の前に出て行き、真の礼拝を献げる神の家族お一人おひとりでありますように…。ハレルヤ!




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