2023年11月23日木曜日

2023.11.5 本日の宣教

 『 現在の苦しみから永遠の栄光へ 』          

                                                                    ペトロの手紙一 5章10~11節

使徒ペトロは、苦難に遭っている小アジアの信徒たちに、恵みの神に目を注ぎ、神がしてくださったこと、そして、今からしてくださることについて言及することで、キリスト者こそ永遠の栄光に招かれている存在であることを確かにしています。
ペトロは、「あらゆる恵みの源」である神が、苦難の中にある神の子どもたちをキリスト・イエスを通して永遠の栄光へと招いてくださると告げます。そして神は、苦しみを受けている信徒たちを「完全な者とし」「強め」「力づけ」「揺らぐことがないようにしてくださる」ことを約束しておられます。これら4つの言葉は、どれも神が苦しむ信徒たちを堅く立たせ、揺らぐことがないように守ってくださることを示しています。その通り、永遠の栄光に招き入れられるまで神の恵みと守りは中断されることがないということを、ペトロは明らかにしているのです。
特にペトロは、「しばらくの間の苦しみ」(10節)という言葉を用いて、この世におけるキリスト者が経験する苦しみについて表現します。それでは、彼はなぜ「しばらくの間」という言葉を用いているでしょうか。それは言うまでもなく、神の民に約束されている神の国の栄光が「永遠」であることを強調することで、当時のキリスト者たちの一時的な苦しみは終わり、永遠の栄光が与えられることを約束しているのです。
実際、人生の中で、厳しい試練や苦しみが長く続くと、私たちは「この苦しみを早く取り除いてくれ!」と叫ぶでしょう。もう神に忘れられているような絶望感に捕らわれても
おかしくありません。しかし私たちの信仰の目を神の栄光の約束の時間に照らして見ることができれば、想像を超えるような慰めと恵みに包まれることになるでしょう。そうする内に、私たちが味わっている苦難は限られている時間のうちの出来事であって、やがて迎えるべき永遠と比べれば、それは一瞬の内に変わって見えるでしょう。
 それでも、耐え難い試練に直面している人に、「あっという間だよ、もう少しで終わるよ、だから大丈夫だ!」とは言えないはずです。だから、私たちはイエス・キリストの十字架を見上げ、十字架による慰めと恵みを慕い求めるのです。十字架の主イエスは私たちの苦しみをすべて知っておられ、共に苦しまれ執り成してくださっていることを味わうことができ、その十字架のイエスから大きな励ましをいただくことになるわけです。
 あなたの人生において、耐えられないような苦難はいつでしたか、その苦難はどれほど長く続いたでしょうか。今も苦しみの只中にあるかもしれません。…ぜひ、主イエスの言葉に耳を傾けましょう。「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。(ヨハネ16:33)」…主イエスはあなたが被っている苦難をすべて知っておられ、勇気を与えてくださり、勝利の道を開いてくださっていることを信じましょう。
願わくは、神の家族の皆さんがしばらくの間の現在の苦しみに呑み込まれず、永遠の栄光の約束に目を注ぎつつ、福音を宣べ伝える歩みを続けますように…。ハレルヤ!


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