2023年9月6日水曜日

2023.9.3 本日の宣教

 『 あなたも私のように 』                                                                                                      使徒言行録 26章 28~29節

使徒パウロはイエス・キリストに捕らわれた人生を歩んだ人でした。本文の背景は、ユダヤ人に訴えられてカイサリアの監獄に2年間も囚人として捕らわれていたパウロが、当時のローマ総督のフェストゥスとユダヤ人の王であったアグリッパ王に、彼自身の過去熱心なユダヤ教徒であったことを、そこから復活のイエスとに出会いによりキリスト者に変わった経緯、そして異邦人の使徒となった現在についての詳細な証しをしていることが分かります。

2年間もカイサリアの監獄に捕らわれていたことのゆえに信仰が弱くなったり、将来について失望したりするような気配はなく、かえってキリスト者としての熱意はさらに燃えていて、福音についての確信と証しとがさらに深められているパウロの姿がうかがえます。さらに当時のユダヤ社会において、最も権力をもっていて高い位置についていたローマ総督とユダヤの王を前にしても小さくなったり躊躇したりするような様子は全く見えないパウロの姿が印象的です。

いよいよパウロが話を終えると、フェストゥス総督はパウロに向かって「パウロ、お前は頭がおかしい。学問のしすぎで、おかしくなったのだ。」と大声で叫び、またアグリッパ王も、「短い時間でわたしを説き伏せて、キリスト信者にしてしまうつもりか。」という反応を見せます。彼らがそのような反応をするほど、パウロが語った言葉は伝道を目的とした内容であって、その時を伝道のチャンスとして受け止めていたことが分かります。まさしく福音はユダヤ人にとってはつまずきであり、異邦人には愚かなものであったのです(一コリント1:23)。

しかしパウロは、二人の反応に対して驚くべき言葉をもって彼の弁明を終えます。「短い時間であろうと長い時間であろうと、王ばかりでなく、今日この話を聞いてくださるすべての方が、私のようになってくださることを神に祈ります。このように鎖につながれることは別ですが。」…鎖につながれている囚人の身、外見からするとただみすぼらしい姿のパウロでしたが、自分の話を聞くすべての人が、自分のようになってほしいことを訴えている。このパウロの訴えは、時代と歴史を超えてすべての救われたキリスト者が抱くべき姿勢ではないでしょうか。もちろん私たちにも当てはまる証しでもあります。「私のようになってほしい」という言葉は、パウロが度々語った言葉であります。「そこで、あなたがたに勧めます。わたしに倣う者になりなさい。(一コリント4:16)」…このような表現は、彼が傲慢だったからでしょうか。もちろん違います。パウロが私のようになってほしいという内容こそ、イエス・キリストによって救われた者として得た恵み、すべてを塵芥のようにするほどに素晴らしい主イエスの愛と祝福、赦された罪人として味わっている永遠の命と神の国への希望を彼の言葉を聞いているすべての人も同じく得てほしい!味わってほしい!生きてほしい!という願望の表れだったわけです。神の家族の皆さんはいかがでしょうか。周りの人々に「あなたも私のようになってほしい」と語ることができるように、日々、キリスト者としての恵みと祝福を、喜びと感動を満たしていきたいものです。

ハレルヤ!



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