~ 証しすることの恵み ~
9月は教会学校月間です。礼拝に集われる方々が御言葉を分かち合う中で、参加する神の家族との交わりと各自の信仰を深めていただく恵みの時です。ぜひ、御言葉が持っている力とその豊かさを多くの方々と共に味わっていただき、生活の中で実を結ぶことが出来ますように…。
そこで、神の家族に一つの提案ですが、礼拝に集われている方々の信仰告白を新たに作成し、それをもとにして証しの時を広げていきたいと思います。先日、事務室のキャビネットを整理する中で、教会員の方々がバプテスマを受けた時や転入会の際の証しを集めたファイルを見つけました。お一人お一人の証しを読みながら、これを書いた時の信仰告白と今現在の信仰告白はどのように変わっているのだろうか、どのような証しが新たに加えられたのだろうか、など、皆さんの証しを分かち合う時があれば素晴らしいと思われたのです。
キリスト者は証しを持つことを前提とします。なぜならば主イエスの十字架と復活の福音との出会い、そして聖霊との交わりの中で体験してきた様々な恵みの業の証しがあって、キリスト者と呼ばれるからです。
もちろん、日本社会においてキリスト者として生きることの疲れや大変さ故に、証しすることを忘れたり、他人事のように思ったりしてきた私たちかもしれません。しかし、主イエスは私たちに「わたしの証人になりなさい!」と言われていますし、今もなお期待しておられます。
証しには「立派な証し」「物足りない証し」の区別はありません。皆さんの持っている証しが「短くても、長くても」その中に主イエス様への愛と福音についての確信、隣人の救いへの望みと熱意があれば、それは素晴らしい証しとなるのです。…ぜひ、あなたの証しを聞かせてください。大いに聞きたいです。シャローム!
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