『 シャローム!シャローム!』
(ヨハネによる福音書14章27節)
平和という言葉は、ヘブライ語ではシャローム、ギリシャ語ではエイレーネと言います。「シャローム」のもともとの意味は、「満ち溢れいっぱいになった状態」または、「欠けのない完全な状態」を指します。「シャローム」という言葉はイスラエルでの一般的なあいさつでありますが、それ以上の深い意味ももっています。それは、壊れた人間関係が赦しと和解を通して修復された時の状態を指し、また、敵対していた国同士がただ戦いをやめることにとどまらず、お互いの国の利益のために協力することを意味します。さらに、隣の家に損害をもたらした場合、その損害を弁償し関係を回復することを指します。…したがって、この「シャローム」こそが、世界の国々や人々が築いていくべきことでしたが、互いが持つ欲望や利己心などによって実現されなかったのです。しかし、聖書は平和の君、平和の王イエス・キリストが、崩れてしまっていた神と人、人と人との関係を修復し、すべての過ちを正してくださり、永遠の「シャローム」が成就されることを教えています。
本日の御言葉で主イエスは「わたしは、平和をあなたがたに残し、 わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。(ヨハネ14:27)」と言われます。
主イエスがいよいよ公生涯を終え、弟子たちを離れるという告別説教をなさる場面です。弟子たちは慕い続けてきた主イエスがこの世を離れ天に帰られるという話を聞いたため、心を騒がせ、不安に覆われていました。そのような弟子たちに向けて主イエスは「世が与える平安」と、「イエスご自身が与える平安」は異なることを語られます。
当時の世の平和こそ、パックス・ロマーナ(ローマ帝国による平和)、すなわち、世が与えるのは政治的な平和、武力による平和、お金や権力による平和を指しています。そこには真の平和はありません。むしろ権力を失うことへの恐れ、お金を失くす恐れ、戦争に負けてしまう恐れと心配のために真の平安を見出すことはできません。しかし、主イエスが与える平和はこの世の平和とは異なり、ご自身の命をかけた十字架の贖いによって失われていた神との関係が回復され、その関係の回復からもたらされる平和、また十字架の赦しによる人と人との間の関係回復による平和、さらに聖霊が主イエスを受け入れた人の内側に住まわれることによって与えられる揺ぎのない平和を生きることができる、これこそ主イエスが与えてくださる究極の平和なのです。この平和は私たちの目に見える状況が変わっても決して影響を受けることはありません。
そうです。真の平和こそ、私たちの生活、人間関係、国と国との関係、自然界において損なわれたすべての関係を修復し完全なものにすることです。そして、聖書はその平和が実現したところを神の国だと教えます。今私たちが生きている世界はどうでしょうか。差別、暴力、争い、貧困などの不条理が満ちている世界ではないでしょうか。ぜひ、聖書が教える神の国を追い求めつつ、シャロームを実現していきましょう。ハレルヤ!
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