2023年2月12日日曜日

2023.2.12 本日の宣教

 『 何もかも任せられる?! 』(ペトロの手紙一5:6~7)             

世界各地で起きている様々な出来事を前にして、“なぜこんなことが?”と理解に苦しむような反応を見せている近頃です。自然災害のこと、伝染病、異常気象、戦争、事件、事故など、とりわけ先週トルコとシリアで起きた大地震を見ながら他人事ではないと思われたことでしょう。その中でも、自然災害という試練を前にしては、どうすることもできない人間の弱さが明らかにされる時ではないでしょうか。

聖書は、私たちの身に起きているすべてのことに対して、“起こるべきことが起こったのだ”と教えます。とりわけ「試練」についてですが、一度も試練に遭わなかった人は歴史上一人もいないことを私たちは知っています。まさに「試練」は、犯罪のゆえに楽園を失ってしまったアダム以降、決して避けられない、すべての人間に負わせられた重荷であると言えましょう。

さらに聖書は、「試練」についてのもう一つの側面を教えてくれます。つまり、神にふさわしい民として育て上げ、神の民の信仰を強める道具としての役割を担うのが試練だとして紹介しています。

本日与えられている御言葉の中で、使徒ペトロはキリスト者を襲ってくる様々な試練による「思い煩い」について、「何もかも神にお任せするように」と勧めます。ここで「思い煩い」とは、「心をバラバラに分ける」という意味で、一つのことに集中できず、いろんな思いがバラバラに心を満たしている状態を指します。すなわち、思い煩う姿は全能なる神を信頼していないことの現れであり、そのような思い煩いによって成し遂げられる神の御業はないはずです。だからペトロは、心をバラバラに分けてしまい、神の御心に集中できなくさせる思い煩いを、「何もかも」神にお任せしなければならないと教えるのです。

またここで興味深いのが、「お任せする」という言葉ですが、ギリシャ語で「投げ捨てる、投げかける、遠くに投げる、渡す」などの意味を持っています。すなわち、私たちが抱えているすべての思い煩いを、何もかも「神に投げ捨てなさい」と勧めているのです。ところで、「お任せする」という行為は、お任せする相手がどのような存在なのかを知らなくてはできない行為であります。同じように、神がどのような方であるかを知らないと、思い煩いを何もかもお任せすることは難しいのではないでしょうか。主イエスも、思い煩いについて「自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。(マタイ6:25)」と言われるほど、私たちの弱さと限界をよくご存じですし、それを解決するための最善の道を示しておられることを覚えましょう。すなわち、父なる神、全知全能の神に、「思い煩い」を何もかも投げ捨てることで、思い煩っていたすべてのことは、「自分の問題でなく、神の問題に変わる」ことになるのです。

次いで、「何もかも神にお任せできる」理由について、ペトロは「神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからだ」と告げます。神の家族の皆さん、私たちの神は、神の子どもたちを愛し、あなたと私のことをいつも心がけてくださるお方です。御子を十字架につけて死なせるほど、私たちを愛しておられるため、一時も私たちから目をそらすことなく、見守り、最善の道を備えてくださる父なる神に信頼しましょう。願わくは、あなたの重荷、あなたの使命、あなたの仕事、家庭、健康、将来など、すべての思い煩いを、何もかもお任せすることを学ぶ祝福された日々でありますように…。ハレルヤ!


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