『神にできないことは何一つない 』(ルカによる福音書1:26~38)
救い主のお誕生、おめでとうございます!!!
クリスマス物語を象徴する言葉の中で、最も大切な言葉の二つが本日の御言葉の中に登場します。その一つは神からの言葉で、もう一つの言葉は人間側からの神様への応答の言葉です。それは、「神にできないことは何一つない」という神からの言葉と、「お言葉どおり、この身に成りますように」という人間側、マリアの言葉であります。
今から2000年ほど前のある日、ガリラヤのナザレという町に住んでいた、処女マリアのところに、突然天使ガブリエルが訪れます。その時、天使は驚くべき言葉をマリアに告げることになります。「処女であるあなたが身ごもり、男の子を生むことになる。その幼子が、いと高き方の子、ダビデの王座を継ぐ約束されたメシアである」という。…本当に驚愕するほどの衝撃がマリアを襲ったことでしょう。
当時のイスラエル社会では、処女が子を生むとは、夫となるべき婚約者のヨセフを裏切った姦淫の罪であるし、その結果、石で打たれ殺されるべき決して赦されない罪でありました。そこで、マリアが早速天使に尋ねます。…「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」と。マリアにとっては当然の反応です。
その時、マリアに勇気を与え、背中をそっと押してくれる神の声が聞こえてきます。
「神にできないことは何一つない。(37節)」 … あまりにも単純でシンプルな言葉です。しかし、この言葉を天使から聞いた時、マリアの内から一つの決断が起こります。そしてその一つの決断によって、今まで彼女の心の中で激しく燃え上がっていた様々な恐れ、不安、疑問、怒りなどが静まり始めます。そして、そこからマリアの一つの忘れがたい信仰の言葉、そこに自らの人生を丸ごと委ねる一つの言葉が彼女を新しい信仰の次元へと導いてくれるのです。
「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。(38節)」
聖書は私たちの信仰について次のように宣言します。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。(ヘブライ11:1)」と。この言葉には、目に見えることに捕らわれず、目には見えないけれど、確かに生きておられる神への信頼をもって歩むことが示されています。
私たちが信じる神は、天地万物を創造され、人間を神ご自身の姿に似せて創造されたと聖書は教えます。しかし人間は神様との約束を破り、欲望に捕らわれ罪を犯し堕落していまいます。堕落してしまった人間に定まったのは死と滅び、しかし神は人間がそのまま滅びることを望まず、歴史の中で絶えず、驚くべき奇跡を起こされ、イスラエルの民らを救われました。そしていよいよ、造られた人類すべてのために唯一の救いの道を与えてくださいました。その道こそ、神ご自身が人間の体をもって人間としてお生まれになり、人類が背負うべき罪と死、滅びのすべてをご自分が背負い、生贄として贖うことでした。そのために、遣わされたのが神の独り子イエス・キリストなのです。愛する皆さん、信仰とは、自分には出来ないことに向かって、「神にできないことは何一つない。」という神の御業を信じて、「お言葉どおり、この身になりますように」と応答し、一歩踏み出すことです。 ハレルヤ!
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