『闇から光が輝き出よ 』 (コリントの信徒への手紙二 4:3~10)
宗教改革者マルティン・ルターはクリスマスイブ礼拝を終えてから、夜中にモミの木の森の中を散歩していました。 いつもは暗い森でありましたが、その夜の森は灯りをつけたかのように輝いていたので、ルターは驚きながら上を見上げました。その時、雪が積もった美しいモミの木の森の間に明るい月の光が注がれていて、暗い森には光の饗宴が広がっていたのです。彼はその光景の中で大切な悟りを得ました。「人間もあのもみの木のようなもので、みんなはみすぼらしい存在に過ぎないが、主イエスの光を受ければ美しく輝く人生を生きることができる」と。…ルターはその教えを人々に説明しようと、もみの木一本を家に持ってきました。そしてその木に雪模様の綿と光を放つ小さなろうそくを飾りました。これがクリスマスツリーの起源であると言われています。…アドベントの大切な意味の一つとは、世の初めの混沌で、闇が支配していた世界に向けて「光あれ!」と命じられた神は、暗闇に覆われている現代の私たちの心に「光」として来られ、すべての人を照らし救いの道をプレゼントしてくださる季節であることを、ぜひ覚えましょう。
使徒パウロは、本日の御言葉を通して「滅びの道をたどる人々に対して覆いが掛かっている」(3節)と教えます。まさに「この世の神」なる悪しきサタンは、暗闇の中に生きる人々の心の目をくらまし、神の似姿であるキリストの栄光に関する福音の光が見えないように妨害し続けます。その通り、福音を知らず、暗闇に止まっている人々は、この世の神であるサタンによって心の思いがくらまされ福音が遮られてしまい、滅びに至るのです。そのような不幸な状態に置かれている人々に、どうすれば福音の光を照らすことができましょうか。
そこでパウロは、彼自身がどのようにしてイエス・キリストの僕になったのかを告白します。それは、「闇から光が輝き出よ」(6節)と命じられた神が、彼の心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださったからだと明かします。同様に、現代の私たちの心と人生にも神の栄光を悟ることのできる光が輝いていることを覚えましょう。…イエス・キリストの御顔に神の栄光があります。私たちが日々、主イエスの御顔の光を見ることができれば、神の栄光の素晴らしさを悟ることになるでしょう。
私たちの心は、壊れやすい土の器のようです(7節)。「土の器」とは今にも割れてしまいそうな人間の弱さと限界を象徴していますし、パウロ自身を指している言葉です。そして「宝」とは、「イエス・キリストの栄光の福音」を表しています。ここでパウロが強調しようとしたのは、「器が宝の価値を決めるのではなく、宝が器の価値を決める」ということだったでしょう。すなわち、価値なき土の器のような私たちの内に、「宝」なる主イエス・キリストがおられることによって、神の力が私たちに与えられました。だから私たちは、どんな患難や苦しみにあっても、絶望したり恐れたりする必要はないのです。私たちの内に住まわれる「宝」なる主イエスの力によって、すべてのことに必ず勝利できるからです。
サタンと暗闇の力がいかに強くとも、神の力である福音の光はその暗闇を突き抜け、救いの光を照らすことができます。今私たちが待ち望みながら求めるべきことこそ、神が私たちの心を照らし、神の栄光を悟らせてくれる真理の光を照らしてくださることでしょう。アドベントの季節を過ごす神の家族が「宝と光なる主イエスを納める土の器として、暗闇の中で光を探し求める罪人たちにイエス・キリストという真の光と宝をプレゼントすることができますように…。ハレルヤ!
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