2022年11月14日月曜日

2022.11.6 牧師室便り

 ~ 何よりもまず、愛を! ~

「万物の終わりが迫っています。だから、思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい。何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。(一ペトロの手紙3:7)」

 昔から人々の心に恐怖と不安を与え続けてきた言葉があります。それが「終末」という言葉です。主イエスが昇天された時、「あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。(使徒1:11)」という言葉を語られ、その時からキリスト教会と信徒たちは終末の日が近いことを信じて待ち望んでいたことを歴史を通じて知っています。

初代教会のリーダーであったペトロをはじめ、パウロ、使徒たちは主の再臨が近いことを説いていましたが、再び来られると言われた主イエスの再臨は2000年の歳月が経っても成就されていません。かえってノストラダムスとか、カルト宗教などによる終末預言に世界が振り回されてきた歴史であったことを覚えていますし、今もなお続いている現実であります。

それでは、今の私たちは終末についてどう受け止めるべきでしょうか。もう2000年の間、再臨がなかったので、これからも来ないはずだと思うべきでしょうか。確かに現代の教会やキリスト者は終末についての意識も薄れていると言えるでしょう。あまりにも忙しい日々、または現実的な経済問題、快楽を楽しみたいなどの理由で、終末について考えることすら価値のないことにしてしまったのかもしれません。

しかし、ここで確かめなければならないことがあります。「時と時期は神の領域である」ということです。2000年前であれ、100年前であれ、現在であれ、いつ終末が来てもおかしくなかったはずです。ただ、聖書の御言葉を信じるキリスト者は目を覚まし、いつ主イエスが来られても迎え入れる備えをしておくべきです。宗教改革者のマルティン・ルターが語ったように、“たとえ明日この世の終わりが来ても、私は一本のリンゴの木を植える”という姿勢を保つことでしょう。

主イエスは私たちに「地の果てまで、十字架と復活の福音の証人として生きること」、また「心を込めて互いに愛し合う」ことを望んでおられるのです。その中でも、なによりもまず、愛し合うことを切に望んでおられるでしょう。シャローム!


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