~天の御国に財産を蓄える ~
本日は宗教改革を記念する礼拝です。16世紀、ローマカトリック教会の免罪符販売が火種となって、ヨーロッパ世界を根本から覆すことになったのが宗教改革でした。とりわけ、「免罪符を購入してコインが箱にチャリンと音を立てて入ると霊魂が天国へ飛び上がる」という偽りの論理のもと、資金集めのために免罪符を乱用していたローマカトリック教会でした。そこで、マルティン・ルターは95か条の論題を掲げ、「正しい者は信仰によって生きる」という「信仰義認」という真理の上に立ち、宗教改革の火を全ヨーロッパへと広げることになったのです。
考えて見ると、旧統一協会やカルト宗教が金儲けのために行っている霊感商法や仏教の葬儀においてお経の長さや良い戒名の授与によって値段が変わるということも、免罪符販売とほぼ同じ視点に立っていると言えるかもしれません。
主イエスは、公生涯の中で繰り返し天国について語られ、「天にあなたの財産を蓄えなさい」と言われました。それでは、天に財産を蓄えるとはどういう意味でしょうか。たくさんの献金をしなさいとか、善い行いをしなさいという意味でしょうか。でなければ、昔のローマカトリック教会のように、また旧統一協会のように、仏教のように、免罪符を買ったり、お経を長く唱えたり、良い戒名を授与されたりすれば、天国に財産を蓄えることになるでしょうか。…いいえ、聖書は決してそのように語りません。かえって形式的礼拝や信仰、形式的生贄、心のない献金を神が嫌われることを伝えているのです。
天の御国に財産を蓄えるためには、何よりも、主イエスの十字架と復活の愛と恵みによって救われた者が、いただいた愛による恵みと救いの良い知らせ(福音)を周りの人々に宣べ伝えること、また、主イエスに倣い、私たちの大切なものを、私たちの周りの貧しき者、弱い者、飢え渇いている者と共に分かち合うことによって、私たちの財産が天に蓄えられることになるのだと、聖書は教えているのです。
最近、日本社会を騒がしている統一協会やカルト宗教などによってもたらされた様々な疑いがキリスト教会にも注がれていることを感じる日々です。そんな中、私たちに出来ることは何でしょうか。それこそ、周りの疑いの視線に揺れることなく、未だに救いの知らせを知らず、求めず、暗闇の中で真の希望を慕い求める人々のところに出かけていくことです。ぜひ、天の御国に蓄えられている神の家族の財産が日に日に増えていきますように・・・。シャローム!
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