2022年9月5日月曜日

2022.9.4 牧師室便り

 ~十字架と避雷針~

「キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。「木にかけられた者は皆呪われている」と書いてあるからです。(ガラテヤ3:13)」

先日、富山に戻る数日前の主日、K 姉より電話がありました。「先生、教会が停電となっています。どうしましょうか。」…。そこで何とか教会の一階の電気は戻りましたが、日本に戻った後確認したところ、2階は停電したままでした。ただ幸いなことに牧師館の方は停電になっていませんでした。その後の話によると、主日の前の日の夜、教会付近に雷が落ちたことを耳にしました。すなわち、停電になっていたのは礼拝堂の建物だけだったのです。そこでふと、“もしかしたら教会の十字架が避雷針の役割をし、雷が落ちたかも知りない”という思いに辿り着いたのです。

昔から落雷は「天から降る裁き」のように考えられていました。実際、宗教改革者のマルティン・ルターもある激しい雨の日、隣を歩いていた友人が雷に打たれ死ぬ姿を目の当たりにし、その場で恐れながら献身者として生きることを誓っていたほど、雷は被造物の人間にとっては、恐ろしい自然現象であったわけです。

近頃、地球温暖化による異常気象が世界各地を襲っています。とりわけヨーロッパや中国の干ばつやアジア諸国における強力な台風と大雨などは地球の終末を思わせるほど恐ろしい状況です。しかしこれからはさらに激しくなっていくことが予想されることが問題でしょう。特に、亜熱帯気候に変わりつつある日本ですので、急激な気圧変化やスコール現象の中で落雷も増えて行くと思いますね。そんな中、小泉町の町に落ちてくる雷を小泉町教会の高く立てられている十字架が避雷針の役割をし、雷を吸収できれば素晴らしいことでしょう。これこそ人類の罪と呪いをすべて背負い、十字架の上で神からの正義の裁きを引き受けてくださったイエス・キリストの十字架の恵みではないでしょうか。世界のキリスト教会が避雷針のように救いを求める人々への道具として、十字架の福音を宣べ伝える働きができるように…。シャローム!


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