2022年9月28日水曜日

2022.9.18 本日の宣教

『 主イエスが望まれる教会⑤ 』~サルディス教会②~ ヨハネの黙示録3:1~6                

:白い衣を着せられる           

先週、私たちはサルディス教会に向けて、目を覚ませ!と命じられる主イエスの御声を聞きました。そして主は、目を覚ます目的について、「死にかけている残りの者たちを強めるため」だと教えられます。サルディス教会は死んでいたのですが、その中にはまだ、死んでいない、死にかけている残りの者たちがいるんだ!と、その人たちを強めることでサルディス教会は新たにされる可能性があるのだ!と言われているのです。

続けて、「しかし、サルディスには、少数ながら衣を汚さなかった者たちがいる。彼らは、白い衣を着てわたしと共に歩くであろう。そうするにふさわしい者たちだからである。(3:4)」と言われます。ここでの「白い衣」というのは、イエス・キリストの十字架の贖いによって、すべて清められたキリスト者を意味します。つまり、サルディス教会のすべての人が白い衣を汚したわけではありませんでした。霊的に目を覚ましていた少数の人々がいたのです。主イエスはこの少数の人々に目を止めておられます。聖書の中で示されている白い衣というのは、やがて天の御国に帰った時に救われた者らが着せられる栄光と祝福の象徴です(黙示録7:9~17 )。しかし、ここでの白い衣を着せられるとは、ただ天の御国でだけ着るという意味ではなく、この地上においてイエス・キリストによって救われた人として、聖霊に満たされ福音にふさわしく聖い生活を歩む人々に着せられる白い衣のことを指していて、そのような人々を神は用いてくださるのです。

続けて主イエスは、白い衣を着ている人と「共に歩かれる」と言われました。ここで「共に歩く」とは、主イエスの十字架の苦難の道も、人々に仕える道も、また、復活の栄光の道も、すべてを主イエスと共にすることを意味します。そして、そのような人々を、主は「ふさわしい者」だと認められるのです。

愛する皆さん、皆さんも白い衣を着せられ主イエスと共に歩む人として認められる人生を歩もうではありませんか。もちろん、すべての人が主イエスと共に歩めばいいのですが、聖書は「少数の者たち」だと言われます。すなわち主イエスは共に歩もうと手を差し伸べておられるのに、「畑を買ったので見に行かねばならない。牛を買ったので、調べに行かねばならない。妻を迎えたばかりなので、行けない。商売のために忙しいので行けない。…」などなどの理由をつけて、主と共に歩むことを拒んでいる私たちではないでしょうか。

私たちの日々の生活は霊的戦争の場であります。そして、霊的戦争において、私たちは勝利を得る者とならなければなりません。サタンは絶えず、私たちを眠らせようとして、様々な誘惑をもって仕掛けてくるでしょう。そこで、多くの者がすでに「名前はあっても、もう死んでしまったような状態」へと負けてしまっています。ぜひ、霊的な戦いにおいて勝利を収める神の家族でありますように…。

願わくは、神の家族が日々の霊的戦争において、勝利を得る者でありますように。そのためには皆さんの礼拝生活、祈りの生活、ディボーション生活が勝利へと結びつく力となるでしょう。そして、やがて天の御国で白い衣を着せられて小羊への大いなる讃美を献げることを夢見る者として日々を歩みたいものです。ハレルヤ!


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