2022年9月5日月曜日

2022.8.28 本日の宣教

 『 今こそ非暴力を』(マタイによる福音書 5:44, 22:37-39)

ロシアがウクライナに侵攻し、戦争が半年以上も続いていることに、心が痛みます。一刻も早く終わることを願って神様に祈っていますが、とても悲しいです。特に残念なのは、侵略してくる敵がいるのだから、武力を備えなければならないし、武器を持って戦うのは当然のことだと考える人々が少なからずいる事実です。

 侵略に対しては、屈服して奴隷になるか、武器を取って反撃するかの2つの選択肢しかないのでしょうか? 今日はこのことを皆さんと一緒に考えたいと思っています。第3の選択肢として、ガンディーが提唱した非暴力があるというのが、今日の結論になります。

 みなさんは、非暴力という言葉を聞くと、どのようなイメージが思い浮かぶでしょうか? 何をされても、なすすべもなく傍観している弱々しいイメージでしょうか? 

 しかし、歴史を振り返ってみると、非暴力こそが「いのち」を守っている事実に気づくことになります。

 ソ連の属国であったハンガリーとチェコスロバキアは、それぞれソ連から自由になりたいと立ち上がりました。ハンガリーは暴力で、チェコスロバキアは非暴力の方法を取りました。犠牲者の数はチェコスロバキアの方が圧倒的に少ないのです。ナチスに占領された国々では、ユダヤ人狩りが行われ、多くのユダヤ人が強制収容所に送られて殺されました。しかし、デンマークでは98%のユダヤ人がスウェーデンに逃れて生き延びました。デンマークの人々は武器を持って戦ったのでしょうか? いいえ、ナチスに対して非協力・不服従を貫いたのです。

 家族を殺されて怒り狂う人たちに対してガンディーは、「復讐しても何も解決しない、敵を愛しなさい」と説きます。「イエスは十字架上で生命を失い,ローマ人ピラトが勝ったではないかと言われるかもしれない。しかし,何と言おうとイエスが勝ったのである。キリストの無抵抗の行為によって,善の力が社会に解き放たれた」とガンディーは書いています。

 非暴力で闘った方が犠牲者は少ないとはいえ、いのちを落としている人はいます。そのような人は犬死だったのでしょうか? ここで私たちは、生きる価値のある人生とは何かということを考える必要があります。確かに何事もなく天寿を全うできれば素晴らしいでしょう。一方で、交通事故や癌で死んでいく人もいます。言うまでもなく、「いのち」は神の御手にあるのです。大切なことは、生かされている1日、1日を神の御心に従って歩むことではないでしょうか? そして、神の御心とは、「殺してはならない」(出20:13)であり、「神を愛し、隣人を愛し、敵を愛し、自分を迫害する者のために祈る」こと(マタイ 5:44、22:37-39)です。

                                   片山佳代子     


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