『 朽ちない神の御言葉 』(ペトロの手紙一 1:23~25)
使徒ペトロの手紙の受取人たちは、ローマのネロ皇帝による迫害を避けて世界各地に離散して(ディアスポラー)仮住まいを余儀なくされていました。その姿は、はるか昔、イスラエルがバビロン帝国に滅ぼされ、さらに捕虜として連れ去られ、異国の地で大変な試練と苦しみの中に置かれていた時を思い出させるものでした。もう希望を見出すことすらできない絶望の状況でありましたが、神は預言者イザヤを通して希望と慰めの御言葉を告げられたのです。…「人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。(1:24~25)」…希望の光が消えていく、また人生の目的と方向についても揺れ動いていたイスラエルの民らに、もう一度永遠に変わることのない神の御言葉の約束にすがり、神の御言葉から希望を抱くことを伝えたかったのでしょう。同じように、使徒ペトロも、離散して仮住まいしているディアスポラークリスチャンたちに預言者イザヤが告げていた御言葉を借りて希望を伝えようとしているのです。
すべてが移り変わるこの世界において、この世の人々が頼りにしているすべては朽ちてしまうものだけど、決して変わることなく朽ちることのないものがただ一つ存在するのだと、それこそ、主の御言葉であるのだということを宣言しているのです。「あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。(1:23)」…まさしく、今私たちが生きている世界は、すべてが変わってしまうもの、朽ちる種からのものであることを目の当たりにしています。どこに私たちの希望を置くべきなのか、何を私たちの生活の土台にして建て直すべきなのか、お金も、健康も、才能も、家族も、国家も、科学も、大自然も、…いつ駄目になり、朽ちてしまうか分からないような不安定な現実が続いている。このような状況において、「決して変わることがないものがある!」と呼びかけるイザヤの言葉は、私の心を揺さぶるような声であるのです。
私たちが今信仰によって生きるべき理由こそ、「決して朽ちることのない神の御言葉の種が、つまり、イエス・キリストを心から信じ受け入れるようになったその時から、私たちは新たに生まれ変わり、決して朽ちない福音の種が、私たちの魂のうちに植えられているのだ」ということにあるのです。そして、その福音の朽ちない種は私たち生活の中において30倍、60倍、100倍の実を結ばせ、永遠の神の国の恵みを今先取りして味わわせてくださっている。だから私たちは、現実の様々な試練に失望することがありませんし、御言葉の上に力強く走り続けられるのです。
神の家族の皆さん、皆さんが本当に神の子どもとして力強く歩もうとするのであれば、決して朽ちることなく変わることのない神の御言葉を皆さんの生活の土台、生活の基準とすることです。そうする内に、変わることのない神の御言葉が皆さんを正しい道へ、また決して揺るがない生活へと導いてくれるでしょう。そうすれば、皆さんがいかに厳しい苦難に直面することがあっても、どんなに大きな問題を前にしていても、世界が崩れ落ちることがあっても、揺れ動かされることはないのです。ハレルヤ!
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