~ 親心 ~
「“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです(ローマの信徒への手紙8:26)」
先週の火曜日の夜中、韓国の息子から電話がきました。“夜運動のために自転車に乗っていたが、少し暗い所で何かに引っかかって転んでしまってけがをした”ということでした。かなり激しい衝撃があったのか、自転車のタイヤが歪むほどだったそうです。LINEビデオ通話で確認したところ、両手にかなり深い傷ができていて、腰と足を痛めて歩くこともままならない状況でした。時間も夜中だったので、病院には行けず、近くの薬局から薬を買い、応急措置をして朝まで待つことにしました。親としてどうすることもできず、ただ祈りながら夜を過ごすしかありませんでした。夜が明けてから、早速病院で診察を受け、必要な処置をしてもらい、数日経ってからは“だいぶ良くなった”との知らせをもらっています。
“親心”について考えてみました。私の親は二人とも召天し、世にはいないけれど、息子の言葉を真剣に受け止め励ましてくれていたことが思い浮かびます。できれば親に心配をかけず、と思って過ごしていましたが、どうしても祈ってもらいたいことがある時は電話をかけ、ぜひ祈ってほしいとお願いしていた私でした。もちろん親には心配をかけることではあっても、親の切なる祈りに支えられてきた人生でしたし、親の祈りがいつよりも必要であったので、躊躇することはありませんでした。親の方も最初は心配していたけれども、息子の具体的な問題を知り、祈ることができるのを喜んでいたことを覚えています。だからでしょうか。電話してつぶやきながら祈りの課題を聞いてくれる親がいないことのゆえに心深い所から寂しさを感じる近頃です。
聖霊は私たちのうちにおられ、親のように常に交わってくださるお方。しかも、子どもたちの弱さを良く知っておられ、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるお方です。まさしく親心をもって私たちを助けようとしておられるのです。しかし、私たちは聖霊に助けを求めるどころか、むしろ聖霊の存在を忘れてしまうような日々を過ごしてはいませんか。聖霊は今日も親心をもたれ、神の子どもたちの祈りとつぶやき、交わりを待っておられます。シャローム!
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