『聖霊の賜物について知ってほしい』(Ⅰコリントの信徒への手紙12:1~11)
聖霊降臨日をおめでとうございます!!!
主イエスは昇天される前に「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい(使徒1:4)」と命じられ、聖霊を贈ってくださることを確かなこととしてくださいました。その約束を信じて、12弟子をはじめ120人の群れが心を合わせて熱心に祈っているうちに、聖霊がその場にいた人々の上に激しい風と炎のような姿で臨まれたことを聖書は記しています。その日がペンテコステ、キリスト教会の誕生日です。
今私たちは聖霊の時代を生きています。教会の上に臨まれた聖霊は主イエスを救い主と信じる人の内に来られ、その人を聖霊の宿られる神殿とされたのです(Ⅰコリント6:19~20)。そして聖霊は神殿となるそれぞれの人に多様な賜物を与え、キリストの健康な体を作り上げようとされるのです。
使徒パウロは本日の御言葉を通して、聖霊によって与えられる賜物について、ぜひ「知ってほしい」と語ります。彼が知ってほしいということには、まず、すべての賜物は聖霊によって与えられたものであることを知りなさいということです。「賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です(4節)。」…賜物こそ、聖霊からのプレゼントのことです。そのプレゼントは一部の人にだけ与えられているのでなく、救われた人すべてに与えられていることを知らなければなりません。すなわち、誰一人として聖霊の賜物をいただいてない人はいないのです。
次に、一人一人に賜物が与えられているのは、教会共同体全体の益となるためであるということです。これが、賜物が与えられた目的なのです。「一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです(7節)。」…しかし人は、賜物についてあたかも自分の能力や頑張り、信仰の強さによって与えられていると誤解し、自分自身を誇り、自分自身の益のために用いようとします。すなわち、全体の益になるはずの賜物が、個人の益とするための道具に変質されてしまうのです。神の家族の皆さんに与えられている賜物は何でしょうか。その賜物は教会共同体の益のために用いられているでしょうか。
さらに、賜物は聖霊の御心のままに、一人ひとりに分け与えられているということです。「これらすべてのことは、同じ唯一の“霊”の働きであって、“霊”は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです(11節)。」聖霊は御心のままに一人一人に分け与えられる。人の願望、能力、努力によって与えられるのでなく、聖霊が一人一人を知っておられるので、御心のままに各自にふさわしい賜物を与えられるのです。だから、他の人の賜物と自分の賜物を比較しようとすることはふさわしいことではありません。
最後に、私たちは自分自身に問いかけなければなりません。「私は聖霊の神殿であって、聖霊が私の内に生きておられるのを日々感じているのか」「私は聖霊の賜物について知っているのか」「私は聖霊の賜物を求めているのか」「預かった聖霊の賜物をどのように用いているのか」などがそれです。今こそ、終末の時、だからこそ聖霊の臨在の下で賜物をいただき、その賜物をキリストの教会と福音伝道のために用いるべきです。初代教会の信徒たちが聖霊を受けることで、恐れることなく福音の証人として歩んだように、神の家族も聖霊に満たされ、各自に与えられた賜物を神の栄光が現れるために用いることができますように…。“主よ、リバイバルを与えたまえ!”ハレルヤ!
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