2022年7月14日木曜日

2022.6.19 本日の宣教

 『 愛の上に建てられる教会 』(Ⅰコリントの信徒への手紙12:31~13:8)

愛の章と呼ばれるコリント13章には、不思議なことに神、またイエスという名前が登場しません。しかし、私たちはこの個所を読むことで、神の愛、主イエスの愛がいかに素晴らしいものであるかを感じることができるでしょう。

Ⅰコリントの信徒への手紙13章は、12章の聖霊の賜物についての教えの続きとなっています。使徒パウロは12章の最後の31節で、「あなたがたは、もっと大きな賜物を受けるよう熱心に努めなさい。そこで、わたしはあなたがたに最高の道を教えます。」と、「最高の賜物」ではなくて、「最高の道」を教えますと語ってから13章の愛の讃歌に移っているのです。すなわちパウロは、「愛」というものが、12章で記していたいくつもある賜物の一つとしているのでなく、むしろ「愛」は、最高の「道」であるのだと教えています。「道」というのは、そこを通ってこそ目的地に行けるものであります。すなわち、どんなにすばらしい賜物を持っていても、「愛」という道を通らなければ、聖霊が作り上げようとするキリストの体なる教会共同体形成という目的地に着くことはできないのだと訴えているわけです。

それでは、パウロは今まで賜物の話をしながら、何で突然愛を歌っているのでしょうか。その理由として、当時のコリント教会の信徒たちは聖霊の賜物に捕らわれてしまい、その賜物が与えられた意味と目的を忘れてしまっていたからでした。そこでパウロは、キリスト教会が忘れてはいけない賜物と働きの原点、目的こそ「愛」であることを確認させているのです。聖霊の多くの賜物を受けていたコリント教会でしたが、彼らが忘れていること、見逃していることがある。それは、どんな賜物も「愛」という土台の上で用いられる時にのみ意味があるということでした。「異言や預言、深い知識、強い信仰、命を捨てるほどの犠牲・・・」などは聖霊から与えられる素晴らしい賜物ではありますが、「愛がなければ」「無に等しく、何の益もない」と宣言しているのです。

「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう(13:4~8)」

愛は律法の完成であり、愛がなければ信仰のどんな行いも意味がないことを覚えましょう。聖書はイエス・キリストこそ真の愛であると宣言します。主イエスは馬小屋での誕生の時から生涯を通して、律法を完成され十字架を通して完全な愛を実現されました。また主イエスは「最も大切な戒め」である神と隣人への愛を、十字架の上で命を捨てられることで示されたのです。

そして主イエスはご自身を心から信じ受け入れる者の上に永遠なる愛を注いでくださいます。聖霊は、主イエスの愛を受け、神の子どもとされた人々の内側に宿られ、キリストの愛で満たし、永遠の命を溢れさせてくださるのです。そのように、主イエスを信じ受け入れた神の子どもたちが集う群れが教会です。

今世界は真の愛に飢え渇き、愛を叫び続けています。その愛こそ、イエス・キリストの体なる教会とキリスト者にしか紹介することも、愛を渡すこともできないはずです。いつも主の愛に満たされ、隣人を主の御心をもって愛する時、私たちは永遠なる天国と命をプレゼントすることになるのです。ハレルヤ!


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