2022年7月14日木曜日

2022.6.12 本日の宣教

 『聖霊の導きに従いつつ』(ガラテヤの信徒への手紙5:16~23)

聖書は、誰でもイエス・キリストを信じた瞬間に聖霊を受けることを約束しています(エフェソ1:13、Ⅰコリント6:19~20、ローマ8:9)。また、聖霊がキリスト者の内に宿られ、共に歩まれることの第一の目的として、その人を主イエスに似た者として栄光を現す生活をするようにということがあります(Ⅱコリント3:18)。

キリスト者の人生は、日々、聖霊によって新しくされた霊と、罪に支配されている人間の古い肉の本性との間における争いの連続であると言えましょう。人間の肉の本性は罪に支配されるようになったため、聖霊によって新しく生まれた霊と繰り返し戦い続けるのです。人間の肉の本性が持つ罪は、この世にあっては消えることはないからですね。

ところが、感謝すべきことは、私たちには、私たちの内に住まわれる聖霊がおられることと、その聖霊との日々の交わりの中で聖霊の導きと助けを受け、罪に支配されている肉の本性に打ち勝つことができるということです。だから大切なことは、常に聖霊の導きに従って生きることを生活の中に適用すること、聖霊が望まれることに従い、聖霊が示す方向に向かって進んでいくことを選ぶことにあります。確かなことは、私たちの人間的な頑張りや力では、罪の本性に打ち勝つことができず負けてしまい、自分自身に失望するしかない存在であるという事実です。しかし私たちが、絶えず聖霊に拠り頼み、聖霊の導きに従うなら、私たちの内なる人は、肉の罪の本性に打ち勝つことができ、時に適った実を結ぶことができるのです。

 本日与えられたガラテヤ5:22~23には聖霊との交わりと導きに従って歩む人に結ばれる聖霊の実について紹介しています。「これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。」・・・これらの聖霊の実は、5:19~21の罪に支配されている人間の肉の本性が犯してしまう15つの業に対比させて記しています。聖霊の9つの実は、聖霊がキリスト者の生活の中におられ交わってくださることの結果として与えられるものです。とりわけ「実」(ギ:カルボス)の意味は、聖霊の働きだけでなく、人間の応答と責任までを含んでいて、この二つが合わされることで実を結ぶことができるというわけです。

多くのキリスト者は、バプテスマを受けキリスト者になった時から、直ちにすべてが変わること、また豊かな祝福に与り、幸せな人生が保証されるような期待を抱くでしょう。しかしそのような期待や思いは、錯覚であり不可能なことです。もちろん、その人の本質は罪の奴隷から新生した神の子へと完全な変化をいただくことは確かです。それでも、その人は、依然としてこの世における罪との戦いや誘惑に遭わされることに変わりがないことを忘れてはなりません。そのために、私たちは日々の生活の中で、「キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまう(5:24)」ことを心がけながら過ごさなければならないのです。

愛する神の家族の皆さん、父なる神は、神の子どもたちが罪と欲望の肉の本性に打ち勝つために、毎日、聖霊を通して御心を教えてくださいます。また、聖霊が望まれる実を結ばせるために、神のこどもたちが聖霊に満たされ助けと導きをいただくことを望まれるのです。願わくは、神の家族お一人お一人が聖霊の実を豊かに結ぶことを通して神の栄光を現すことになりますように。ハレルヤ!


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