2022年5月29日日曜日

2022.5.22 本日の宣教

『求める者に良いものを下さるという約束』 (マタイによる福音書7:7~12)

 5月8日に今年度の定期総会が恵みのうちに行われました。ただ総会資料に感謝の証の数が少なかったのが残念でした。2021年度の総会資料には執事以外の証は無かったように思います。時間に間に合わなかったのか?書いてみたけどご自分で納得がいかなかったのか?まさか書くことが無かったなんてことはないでしょう。コロナ禍にあって生活は大きく変わり、神様の憐れみを祈り求めない日は無かったのではないでしょうか?コロナ前の総会資料にはもっと沢山の証があったのでどうしたのかなという印象でした。主イエスはあし萎えや盲人に「何がして欲しいのか?」とお尋ねになります。神のひとり子で創造者、全てを知っておられる主が目の前の弱い者の願いをご存知ないわけが有りません。御言葉で有る方は思いを言葉にすることを望まれます。なんと祈ってよいかわからない時はあります。そんなときは“霊”自らが執り成して下さることを私達は知っています(ローマの信徒への手紙8:26)。しかし、主は出来るだけ言葉に表すことを望まれます。拙い言葉であっても主はその思いをくみ取って下さるでしょう。聖書には沢山の失敗が記されていますが、神はそれを忍耐をもって導かれます。国、民族、個人にそれぞれの課題を与えて成長を促される訓練が施されます。訓練は最初は出来ないことが前提です。出来ないときほど神様の施しを求ます。わたしたちは祈りによらず何も出来ないことを知るようになります。私自身伝道に失敗続きです。わかって欲しい。救われて欲しい。命を得て欲しい。それでも私の口から出る言葉は相手に届きません。「伝道が難しい時代」と言われて久しいですが、伝道が容易な時代というのはあったのでしょうか?今、将来に不安を感じ恐れを覚える方々が大勢おられます。伝道が容易とは申しませんが、私達救われた者の働きが求められているとは言えるでしょう。福音は全ての問題の解答です。世の中の様々な困難に苦しむ人たちに「世に勝った方」をお伝えしましょう。主に愛された富山小泉町教会のあらゆる場面で会話なり文章なり、証なりで「罪の赦し」「永遠の命」「命の甦り」を大いに言い表し、教会の外まで広がるほどに強められますように。

 神様は聖書を記し、ご自分のご性質を明かし沢山の愛を表して下さっています。神様はご自分で約束されたことを決して反故になさいません。マタイによる福音書でわたしたちに「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門を叩きなさい。そうすれば開かれる。」神は愛です。求め願うなら、わたしたちが願った以上に良いものを与えると約束してくださいます。私達の周りのまだ救われていない方々に天国の門を叩く心を与えて下さいますように。救われて平安が得られますように。主の御名が崇められますように。主の栄光がとこしえにありますように。  

                                S.Y.兄


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