2022年5月1日日曜日

2022.5.1 小さな泉の恵み

 今回も水曜祈祷会から、ルカの福音書21章25~38節で考えさせられたことをコメントします。ここでは、人の子の再臨に際して、神がまず太陽と月と星にしるしを現わして、地上で海と波が荒れどよめき、天地が消え去る、すなわち終わりの日について記されています。神は人知を超えた力を持っていると同時に恐ろしいことを実行されることがわかりました。一方で、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まし祈りなさいとも記されています。そしてその日は、放蕩や深酒や生活の思い煩いで心が押しつぶされていない状態にいるよう警告しています。この祈祷会で、終わりの日は、できれば自分が死んだ後に来てほしいという感想が出ました。現在新型コロナによるパンデミックやウクライナへのロシア侵攻で、今後ロシアが生物・化学兵器や核を使用するのではないかと一部報道で言われています。先が見通せない状況にありますが、終わりの日は神が決めることと思っています。中世ヨーロッパの宗教改革指導者であるマルチン・ルターは「たとえ明日、世界が滅亡しても、今日私はリンゴの木を植える。」と述べています。

終わりが来るかどうかにかかわらず、自分は最後までお祈りし、農作業ができたらと思っています。

                          K.K. 兄

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