『 主イエスが望まれる教会③ 』~ペルガモン教会②~(ヨハネの黙示録2:12~17)
=わたしの忠実な、わたしの証人②=
先週からペルガモン教会について学んでいます。主イエスは、ペルガモン教会が外側の攻撃や迫害に対しては妥協しなかったことを称賛されましたが、本日の御言葉を通して、内側において小さな誘惑につまずいてしまったことを叱責されていることが分かります。
そこで、例えられているのが「バラムの教え」でした。バラムは民数記に登場する占い師です。彼は、イスラエルの民をモアブの女たちを通して性的乱れと偶像崇拝の罪へと誘い、イスラエルの内側から大きな混乱を招くことがありました。それと同じように、ペルガモン教会の中にはバラムに例えられる「ニコライ派」の教えに従う者たちが忍び込み、ペルガモン教会の信徒たちを偶像と皇帝崇拝へと誘惑することになります。それなのに、ペルガモンの教会は、その偽りの教えを拒むどころか、彼らを受け入れてしまったのです。外側からの命をかけるほどの厳しい戦いには勝利したけれど、内側からの小さな誘惑に負けてしまい世俗化の波に呑み込まれてしまったペルガモン教会でした。パウロが語っているように、「わずかなパン種が練り粉全体を膨らませることを、知らないのですか。(一コリント5:6)」という、小さなパン種が全体に影響を与えることを私たちも重く受け止めなければならないでしょう。…主イエスは聖なる方で真理そのものであるため、偽りとは共におられません。その通り、もし真理ではない偽りの教え、間違った異端の教えが教会の中に忍び込み、それが容認されてしまうのであれば、教会はその根本から揺れ動いてしまうのです。それらの偽りからの誘惑に惑わされないために、教会は福音の御言葉を教えることと、養うことに力を尽くし、偽りを見抜く力を身に付けなければならないのです。
続けて、主イエスはペルガモン教会を「悔い改める」ことへと招かれます。「だから、悔い改めよ。さもなければ、すぐにあなたのところへ行って、わたしの口の剣でその者どもと戦おう。(16節)」・・・ヨハネ黙示録において、とりわけ7つの教会へのメッセージにおいて、叱責と悔い改めのメッセージは一つのセットとなって語られています。主イエスは、真心から悔い改めた人や共同体の罪を赦し、新しいチャンスを与えてくださいます。主イエスは真心から悔い改める人や共同体を赦されない時はなかったことを覚え、常に御前に近づくことです。そして、主イエスはここで、「もし悔い改めなければ、主イエスの口の剣をもって戦われる」!言われます。「イエス様の口の剣」とは、裁きのことを意味しますし、しかも「すぐに」と言われることから、終末においては、悔い改めの時間がそれほど残されていないことを指しているのです。主イエスとの関係を回復し、神の国をいただくために、悔い改め以外の方法はありません。
最後に、勝利を得る者たちに与えられる特別なご褒美の約束が語られます。「勝利を得る者には隠されていたマンナを与えよう。また、白い小石を与えよう。その小石には、これを受ける者のほかにはだれにも分からぬ新しい名が記されている。(17節)」…「隠されていたマナ」とは、ユダヤの黙示文学において、終末に再び与えられる“隠された荒野のマナ”のことを指します。また、新しい名が記されている「白い小石」とは、信仰の清さを守った人が、終末のメシアの祝宴に参加できる資格を与えるしるしとしての石のことです。願わくは、サタンとの戦いに勝利し、神が催された祝宴の豊かさに与ることのできる神の家族お一人お一人でありますように・・・。ハレルヤ!
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