2022年3月30日水曜日

2022.2.20 本日の宣教

 『 あなたを見守ってくださる神に 』(詩編121:1~8)  

「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る、天地を造られた主のもとから(詩編121:1~2)。」

本日与えられた詩編121編は「都に上る歌」という、神殿巡礼の時に巡礼者たちが歌っていた詩編です。

人間は助けを受けなければならない存在として創造されました。この世の中で、一人の力で生きていける人は一人もいません。詩人は、人生の真の助けと守りは創造者なる神から来るのだ!という確かな信仰を、彼の人生を通して、またイスラエルの歴史を通して学び、その神への確信と感動で満たされていることがうかがえます。実に、人の人生は苦難と問題の連続であります。それは予想もしないうちに突然訪れ、何もかも変えてしまうのです。今日の新型コロナがそうですし、異常気象、自然災害がそうです。その時、人々は嘆き悲しむのです。

しかし神の人は、いかなる苦難の状況に置かれても、神の助けを求めて山に向かって目を上げると告白します。人々は助けを求めるために力となってくれそうな人の方に目を向けるはずです。しかし詩人は山を仰いでいる。ユダヤ人にとって山とは、永遠に変わらない象徴とされるところです。また聖書に登場する「山」とは創造者なる神の臨在の場所であり、神ご自身を指している意味として用いられてきました。あまりにも変わりやすいもので溢れる人間社会において、創造者なる神こそ、決して変わることなく、いつどこでも山のようにそこに立っておられ、神の子どもたちを助けてくださるお方であると歌っているのです。     

3節~8節の間の核心となる言葉は「見守る」という言葉で、6回も繰り返されていることから、神の全き守りによって、神の民が真の平和と安心感を得ることへの賛美で満ちています。その通り、神は、ご自身を信じる神の民と共に、いついかなる時にも共におられます。神の手の届かないところはありません。また、一瞬たりとも目を離されることもありません。私たちが遠くに離れていても私たちの考えをことごとく知っておられ、すべての行いを見ておられるお方です。「神の見守り」を表す具体的な言葉として、「まどろむことなく、眠ることもない。神の民を覆う陰、右にいます方、すべての災いを遠ざけて、出で立つのも帰るのも、とこしえに見守られる」などを用いることで、神の民を見守られる愛の熱心の凄まじさが示されているのです。

とりわけ私たちの目を引くところは、1~2節の主語は「わたし」でありますが、3~8節の主語は「あなた」に変わるということです。恐らく「わたし」という、エルサレム神殿での礼拝に集うために巡礼する群れのリーダーとなる人が、今までの彼の人生の中で恵みを与え素晴らしく見守ってくださった神を、「あなた」という、共に旅していた人々に紹介しながら、彼らを祝福するということでしょう。これこそ、信仰共同体に与えられている執り成しの恵みの姿です。…願わくは、互いが「わたし」として個人的に神との豊かな交わりを体験し、「あなた」である神の家族に体験した神を証しし、祝福を祈るという生きた信仰共同体としての小泉町教会でありますように…。「わたしとあなた」を見守られ、出で立つのも帰るのも見守られる神を賛美しましょう。ハレルヤ!


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