2022年3月30日水曜日

2022.2.13 本日の宣教

 『 主が望まれる教会② 』~ 死に至るまで忠実に② ~ (ヨハネの黙示録2:8~11)  

「わたしは、あなたの苦難や貧しさを知っている。だが、本当は、あなたは豊かなのだ。(2:9)」

主イエスは、「本当は、あなた方は豊かなのだ!」と言われています。この「豊かさ」こそ、「イエス・キリストによって救われ神の子とされた者たちが、やがて神の国でいただくはずの永遠の命と究極の豊かさへの祝福の約束」を指しているのです。すなわち「終末論的観点から永遠に続くはずの豊かさ」を意味しますし、その豊かさの約束を受けているスミルナ教会であったのです。まさしく、スミルナ教会の信徒たちの豊かさこそ、イエス・キリストが命を捨ててまで教えようとしたことであり、復活をもって永遠に生きる希望と共に約束された現実だったのです。その確かな約束のゆえに、今の苦難と貧しさに耐えることができるわけです。皆さん、この豊かさへの約束を信じますか。

「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。(ヘブライ11:1~2)」・・・ハレルヤ!今は、キリストを信じるということで、この世において差別と厳しい苦難を受けることになるけれど、私たちにはこの世の人々が知らない豊かさが約束されていますし、神の国の祝福を先取りして生きることができる幸いな存在であることを心に刻みましょう。

 「死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう。(2:10)」                          

スミルナ教会の信徒たちを十字架と復活の信仰の上にさらに強く奮い立たせただろうこの御言葉に、私たちも心打たれ、信仰を新たにしていきたいものです。・・・実際、スミルナの教会の歴史において「死に至るまで忠実であった」人がいました。その人こそ、スミルナ教会の監督であったポリュカルポスです。彼は、教会史において殉教者の代表として登場する人です。ポリュカルポスは、やがて火あぶり刑で殉教することになりますが、処刑される前、彼が残した有名な言葉があります。「今までの86年間、私が信じてきたイエス・キリストは、一度も私を裏切ったことがありません。なのに、どうやって私が一瞬の試練から逃れるため、主イエスを裏切ることができようか…今、あなた方は一瞬の燃える火で私を脅迫するが、あなた方は、神が悪人たちのために備えられた永遠に燃える火に投げ込まれる刑罰を受けることになるでしょう。」と。これこそ、体の死を超えた主イエス・キリストへの信仰宣言でしょう。そうです。キリスト者が目指す勝利者の姿は、この世の中で手にするものではありません。彼らには何にも代えがたい神の国の約束、死を打ち破ったイエス・キリストの十字架と復活の愛と命に与ることによって、与えられた勝利であって冠であるのです。最後に、死に至るまで忠実であるようにと語る主は、私たちを「勝利者」と呼んでくださいます。その勝利を得る者は「決して第二の死によってそこなわれることがない」のです。願わくは、スミルナ教会の信徒たちが苦難の中で得た勝利の冠を神の家族も手にすることができますように…。「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。(ヨハネ福音書16:33)」ハレルヤ!


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