『 やがて来られる王の王 』 (ヨハネ黙示録1:4~8)
今私たちはアドベントの季節を過ごしています。約束された神の独り子を待ち望む信仰をもって過ごす時です。アドベントという言葉は「近づく」「到来する」という意味です。つまり、旧約聖書に預言されているメシア、救い主が、罪に覆われた地上に住むわたしたちの生活の真ん中に、力強く近づいてくださり、到来してくださることを心から待ち望む時期です。ですからクリスマスの季節とは、「メシアを待っている人間側の期待」と「人との交わりを待っておられる神の熱情」が一つとされた時であると言えましょう。
前回私たちは、イエス・キリストからの恵みと平和の祝福を祈った後、王の王なるイエス・キリストが私たちを愛し、私たちのために十字架の上でご自分の血によって、すべての罪から解放してくださり、そして私たちを神の子ども、神に仕える祭司としてくださった神の栄光と力をほめたたえるようにと、勧めているヨハネの言葉を学びました。
そしてヨハネは、黙示録を読む人々に、イエス・キリストが、再び来られる再臨の出来事を期待するようにと勧めます。「見よ、その方が雲に乗って来られる。すべての人の目が彼を仰ぎ見る、ことに、彼を突き刺した者どもは。地上の諸民族は皆、彼のために嘆き悲しむ。然り、アーメン。」(7節)
ここで「見よ」という言葉の意味は、“これから大切なことを語るので、注意を払ってよく聞いて心にとめなさい!”ということです。すなわち、「雲に乗って再び来られる」再臨のイエス・キリストに注意しながら、再臨の信仰をもって生きることが、あなた方に求められることだ!という宣言なのです。…ここで「雲」とは、神の臨在と栄光を現す印であるので、「雲に乗って来られる」とは、再臨の主イエスは、神の栄光と力を帯びて来られるという意味になるのです。
2000年前、初めて人類の中にやって来られた主イエスは、全人類の罪を贖う小羊として、弱く小さな赤ちゃんの姿で来られましたが、再び来られる再臨の主イエスは、神の栄光と権威と力を帯びて、すべての人にあがめられる中で、すべてを治める王、またすべての人の裁きの王として来られることが約束されているのです。
このような確信に満ちた力強い再臨の約束を待ち望みながら、王なる主イエスから見える希望の信仰をしっかり握って、今という終末の時を歩んでいくべき私たちです。使徒パウロは、「私たちに復活がなければ私たちほど惨めな人はないでしょう」と言っていましたが、私は主の再臨についても同じことが言えると信じています。「キリストが再臨しないのなら、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です。」と。
愛する神の家族の皆さん、私たちが礼拝し賛美するイエス・キリストは真の王、「今おられ、かつておられ、やがて来られる、全能なる神」です。その方は、「アルファであり、オメガであるお方、初めであり、終わりである方」であるのです。すなわち、イエス・キリストこそ、存在するすべての始めであり終わりであるという意味なのです。この主イエスの再臨への確かな信仰をもち、常に迫って来る試練と苦しみを前にしても、決して揺ぐことのない信仰を全うする神の家族でありますように…。「アーメン、マラナ・タ、主イエスよ、来てください。」
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