『 揺らぐことのない希望 』(二コリントの信徒への手紙4:16~18)
本日は、敬老祝福礼拝です。神の御手の守りと恵みによって70年以上の人生を歩まれた皆さん、おめでとうございます!新型コロナウイルス・パンデミックという大変な時代であるにもかかわらず、誰よりも生き生きと日々を過ごされ、大切に礼拝を守っている皆さんの姿から大きな慰めと励ましをいただいています。
キリスト者の人生の目標について、聖書は「主イエスに似た者になること、主と同じ姿に変えられること」であると教えます。そのことを神学用語では“聖化”と言いますし、その聖化の最終的な結果となるのが永遠の神の国における完成であり、"栄化"と呼んでいます。
聖書が主イエスと同じ姿に変えられると言っているのは、決して肉体の目に見える姿のことではありません。それが正に、本日の御言葉で記している「内なる人」、イエス・キリストの十字架の贖いによって新しく創造された霊的存在を指しているものです。その「内なる人」によって、私たちは日々イエス様に似た者として変わっていくのです。まさしく、二コリントの信徒への手紙5:17「だから、キリストと結ばれる人は誰でも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」の御言葉は真理なのです。
使徒パウロは、本日の16節で、「わたしたちの外なる人は衰えていくとしても、わたしたちの内なる人は日々新たにされていきます。」と宣言しています。ここで「外なる人」とは目に見える私たちの肉体を表します。そして、「衰える」という言葉は、“破壊される、使えなくなる”という意味をもっていて、歳月の経過と共に段々と衰えて、醜くなってしまう肉体、それが「外なる人」なのです。しかも、この衰えは、人間の力ではどうすることもできないことであって、かつ現在進行形であることを私たちは知っています。
ご存知のように、本日の御言葉を書いているパウロ自身、もともと体にいろんな病気をもっていた人でした。さらに、彼が主イエスを信じ伝道者になってからは、さまざまな苦しみを受けていたため、もう彼の肉体はぼろぼろの状態となっていました。ですから、彼は「外なる人」である肉体の弱さ、限界、衰え、やがて死んで滅びていくことを常に感じながら生きていたわけです。
しかし、パウロは本日の御言葉を通して、人間の存在について、何より大切なもう一つの側面を示しています。それが、目に見えないが確かに存在する「内なる人」のことです。「内なる人」とはイエス・キリストの十字架の贖いの業を信じることによって新たに生まれた魂のことを指します。パウロの宣言を聞きましょう。「外なる人は日々衰えていっても、内なる人は日々新たにされ、強くなっていきます!」。…そうです。「内なる人」は、日々、御言葉と聖霊の働きによって新しくなり、成長していく存在であり、この「内なる人」によって私たちは日々、主イエスに似た者として変わっていくのです。
「内なる人」は、私たちの患っている病に襲われることはありません。また、この世の様々な問題課題に振り回されることもありません。「内なる人」は、唯一、神様と親しく交わることにより、日々新たにされて栄光に向かっていくのです。この揺るがない希望を抱きつつ、内なる人を健康にしていく神の家族であるように…。ハレルヤ!
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