2021年9月9日木曜日

2021.8.8 牧師室便り

 ~ 平和の祭典で思うこと ~

本日をもって東京オリンピックが閉会することになります。コロナパンデミックという危機的な状況の中で開かれた大会で、様々な不安を抱えながらも最後まで行うことができましたね。17日間、競い合った世界の選手たちすべてに拍手を送りましょう。

もともとオリンピックは平和の祭典と呼ばれてきました。まさしく全世界のアスリートが一つの場所に集まり、銃や武器をもって争うのでなく、互いのもっている力や技術を正々堂々と競い合うのがオリンピックの素晴らしさではないでしょうか。その通り、古代オリンピックでは、開催地から居住地までの往復において選手や観客の安全を願い、その期間の戦争を休止していたそうです。その精神を受け継ぎ、国際オリンピック委員会(IOC)は、1992年より「オリンピック休戦」を提唱し、選手の安全やスポーツの価値を守るため、これを1994年のリレハンメル大会より導入したのです。

つまり、オリンピックの原点は「平和」にあります。まさしく、スポーツに置き換えることで争いをなくすという理念を、時を通じて継承し、古代と今を、そして未来へとつなぐ大きな架け橋としてのオリンピックなのです。しかし、現在のオリンピックは「平和、オリンピック休戦」という原点に戻っているでしょうか。

むしろ、いつの間にかオリンピックに資本主義の価値観が入り込み、また、最も強力なナショナリズムが表される場になっていることを私たちは目の当たりにしていると言えるのではないでしょうか。歴史の中でスポーツが原因となって戦争に走ってしまったことがあり、今も世界各地でスポーツによる争いと葛藤が拡がっている状況です。

IOCや世界各国が平和を第一にするオリンピック精神に戻り、世界平和に役立てるように…。シャローム!


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