『 礼拝者の顔 』(出エジプト34:29~35)
今月のリビングライフも出エジプト記です。とりわけ今月に入ってからの御言葉では、神の人モーセの信仰の素晴らしさが際立っています。その中でも、出エジプト33:11「主は人がその友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られた。」という御言葉に心打たれます。主がモーセに対して、人がその親しい友と語るように、顔と顔を合わせて語られた!という、信仰者であれば誰もがうらやましく思う御言葉であるでしょう。しかし、私はこの箇所から、神の寂しさを感じました。神には、友のように交われる人がモーセ一人しかいなかった!という御心が伝わってきたからです。そういう意味で、モーセをご覧になる神の格別な御心がよく伝わってくる聖書の表現であると思います。
特に、この場面はイスラエル共同体が神との契約を破り、金の子牛の像を作り拝むという赦されない罪を犯した後、神の怒りと裁きを前にして、「自分の名を神の命の書の中から消し去ってください」と命をかけて執り成すリーダーとしてのモーセと、そのモーセの執り成しを受け入れてくださる神の、神の人モーセへの愛と信頼が示されています。この場面では一人のリーダーの存在がいかに大切であるかがうかがえます。リーダー自身の命をもって神と取引するほど、モーセはイスラエル共同体を愛していましたし、神への揺るぎない信頼があったことが分かります。
それから、モーセは「神の栄光を示してほしい」と求めます。この懇願こそ、神との関係の親密さと深さを表してくれます。神の栄光を慕い求める人の姿は、神が最も喜ばれることでしょう。その通り、聖書は神がモーセにご自身の栄光を示されたことを記しています。神はモーセに、御顔だけでなく、創造者なる神の圧倒的なお姿の栄光を現されたのです。そして神は、イスラエルの子らが破棄してしまった契約を更新してくださいました。真に一人のリーダーの献身的な執り成しがもたらした素晴らしい恵みでした。
シナイ山での40日間、神と顔と顔を合わせ交わり、神の栄光に照らされたモーセは、更新された契約と新しく刻まれた二枚の石板を携えてイスラエル共同体のところに帰ってきます。聖書はその時のモーセの顔の肌が「光を放っていた」と記します。モーセが放っていた光は、神の栄光の表れであって、モーセが神と顔と顔を合わせたことによって与えられた栄光でした。40日40夜、神との親しい交わりの時間を過ごしたモーセは、その顔が太陽のように光を放つようになりました。モーセを待っていたイスラエル共同体は、モーセの顔の輝きによって神の臨在を見ることができました。また、神はモーセの顔の輝きを通して、イスラエル共同体にご自身の栄光と赦しの恵みを示されたのです。
モーセの顔の輝きは神の栄光の輝きでした。それは、神との親しく深い交わりによってモーセから自然に照らされるようになったものです。神の家族の皆さんの上に、このモーセが味わった神の栄光の輝きの恵みがあるようにと願います。日々、父なる神の御顔の光を慕い求め、神との深い交わりをもつことによって、私たちも主の輝く光に覆われますように…。とりわけ、神のために働く献身者になくてはならない姿がここにあるのです。
日本バプテスト連盟では、6月最後の主日から7月最初の主日までを「神学校週間」として覚えて、神学校の働きと献身者のための祈りと共に献金をささげる時をもっています。私は願います。献身者たちが、何よりまず、モーセのような神との親しい交わりの中で、神の栄光に照らされる生きた礼拝者の顔をもつようにと。ハレルヤ!
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