2021年9月9日木曜日

2021.6.20 本日の宣教

 『 口の言葉と心の思いを主に! 』(詩編19:15)

詩人ダビデは、神こそ創造者として自然界を通してご自身を啓示しておられる神、また、人の口の言葉と心の思い、その行いをすべてご存じである真の神に、生きた礼拝者となることを切に願っています。

とりわけ、ダビデは大自然のすべてが神を賛美していると告白し、大自然を通して啓示される御声を聞いています。「天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す。昼は昼に語り伝え、夜は夜に知識を送る。話すことも、語ることもなく、声は聞こえなくても、その響きは全地に、その言葉は世界の果てに向かう。(2~5節)」

ダビデは、一日を始めるにあたって、大自然を与え、今日も私たちを生かしてくださる主に、御言葉を与えてくださったことを感謝し、創造者なる神への礼拝を献げることを告白しているのです。実に、それがダビデの力でありました。

神の家族の皆さんは一日の生活でどれほど主を黙想しているでしょうか。私たちは、朝、起きてまず、最初に何をするか、それが、その人の優先順位であると言えるかもしれません。スマホで電話やライン、メールやニュースをチェックするとか、朝食の準備や仕事の準備など各自様々でしょう。

皆さんは最近、朝、起きてすぐに簡単な身の回りのことを整え、外に出て大きく深呼吸をしたことはあるでしょうか。また、雨が降った時には雨に濡れた土と草の匂いを吸い込みながら、朝露にぬれた草花を見たことがあるでしょうか。また、新しく輝き、誇らしく照らす太陽を感じながら天を仰ぎ見たことがあるでしょうか。そして、当たり前のようにしている呼吸のために動く肺や心臓の音を感じたことがあるでしょうか。ダビデは、大自然の中で、また小さな出来事の中から聞こえてくる神の御声を聞いていましたし、そのただ中で、神に感謝と賛美の礼拝を献げていたのです。

ここにダビデの信仰の素晴らしさがあるのです。彼は何か神の御前で目に見える立派な行いをし、偉大な神殿を建てるなどのことで神に認められようとしませんでした。なぜならば、ダビデは神こそ天地万物を造られた唯一の神であり、人の心の隠れているところまですべて見ておられる方、神は霊と真理をもって礼拝する人の礼拝と賛美を喜ばれることを知っていたからです。だからこそ、「どうか、わたしの口の言葉が御旨にかない、心の思いが御前に置かれますように。(15節)」と告白することができたのです。

そうです。詩人ダビデは、自分自身の口の言葉が御旨に適うことを祈っています。これは、ただ口先の言葉だけではなく、外側に表れているすべての行動までもが、御心に適うことを願っているのです。これは主イエスが言われたように、「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。(マタイ5:16)」の御言葉とつながっていますし、「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。(ローマ12:1)」と告白している使徒パウロの言葉とつながっていることが分かります。

私たちの神が、ダビデの時代、またパウロの時代、そして今日の私たちの時代においても、変わらず求められる礼拝者の姿があります。それこそ、「私たちの口の言葉と心の思いが御旨にかない、御前に置かれるいけにえとなりますように…」と願いつつ、主と共に歩む人の姿です。ハレルヤ!


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