2021年9月9日木曜日

2021.6.13 本日の宣教

 『 生命を守る福音 』(使徒言行録 16:25~34)

本日の聖書箇所は、生と死の問題を具体的に示しながら、死の誘惑を乗り越え、命を生きるためにはどうすればいいのかということについて教えています。とりわけ、あまりにも人の命が軽々しく扱われている現代社会の中で、命の光を照らす者として選ばれて生かされているキリスト者としての使命を確かめる時になりますように…。

本日の聖書箇所には、聖霊の導きの下、ヨーロッパ伝道の幻をいただいたパウロ一行が、ヨーロッパ伝道の最初の町として与えられたフィリピでの伝道旅行の話が記されています。いよいよフィリピの町に着いたパウロ一行は、祈りをささげながら伝道の働きをする中、占いの悪しき霊に捕らわれていたある女奴隷に出会い、彼女をキリストの御名で癒すという奇跡を行ないます。しかし、その女奴隷の占いによってお金を稼いでいた主人により訴えられ、不正の裁判を受けることになります。パウロとシラスは、激しくむち打たれ、両足には足枷をはめられて牢に入れられてしまいます。聖書は、その時の時刻を「真夜中ごろ」であったと教えます。・・・神の導きに従い、献身的に伝道を続けていたパウロの身に起きた理不尽な出来事、しかも彼らが暗く汚い牢に閉じ込められるということは受け入れ難いことだったでしょう。しかし、パウロとシラスは目の前にある状況を嘆いたり、悲しんだりすることはしませんでした。むしろ、彼らは「賛美の歌をうたって祈っていた」と記します。まさしく二人は最悪とも言えるような状況を神の臨在と栄光の場に変えていったのです。そしてその瞬間、「突然、大地震が起こり、牢の土台が揺れ動き、たちまち牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまう」という驚くべき奇跡を目の当たりにします。

その時、牢を守っていた看守は、牢の戸が開いているのを見て囚人たちが逃げてしまったと思い込み、剣を抜いて自殺しようとしました。なぜならば、当時は、囚人が脱獄したら、その牢を監視していた看守が、逃げた囚人が受けるはずだった処罰を代わりに受けなければならなかったからです。恐らくその牢には多くの囚人がいて、その中には死刑囚もいたでしょう。ですから、どうせ苦しみの中で処罰を受け殺されるのであれば、自ら命を絶った方がましだと思ったことでしょう。この看守の姿は、生命を軽んじる現代社会の状況にとても似ています。とりわけ、一年半も続いているコロナ危機の中、様々な理由で自殺に走ろうとする人々の姿も見えてきます。また、ミャンマーでの権力者による虐殺、イスラエルによるパレスチナ自治区への爆撃、また人種差別による無差別殺傷など、命が軽く扱われてしまう世界の現状が重なって見えるのです。 

聖書は人の命ほど尊いものはないと教えます。神は罪のうちに死んでいく私たち一人一人を救うために、独り子イエス・キリストをこの世に送り、十字架の上で死なせるほど、人の命は何にも代えがたい尊いものなのです。しかし、悪しきサタンは人々を死と滅びの方へ引っ張って行こうと企みます。その時、死の力に立ち向かうパウロの姿こそ、今のキリスト者と教会に求められる姿勢ではないでしょうか。パウロは自殺しようとする看守に向かって叫びます。「自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる」と。・・・そうです。神の人は死に向かう人の命を守るため最善を尽くします。そして、命の福音をその看守に告げます。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。(16:31)」…主イエスの福音は人を生かします。死の力を打ち破り、生きる道を示すのです。ハレルヤ!


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