『二人のお母さんに学ぶ 』 (出エジプト2:1~10)
母の日礼拝、おめでとうございます!!!
イスラエルの歴史の中で、二度と現れなかった預言者として、また、神と顔と顔を合わせて語り合い、まるで友のように親しく交わっていた人。また、偉大なるイスラエルの指導者としてイスラエルの民を約束の地へと導いた一人の人がいました。その人の名前は「モーセ」。
本日与えられている御言葉には、エジプトのファラオ王によるイスラエルの新生児の男の子をすべて殺せ!という命令が下されている危機的状況の中でのモーセの誕生、そしてファラオの命令に逆らうことで命の危機にさらされながらも必死でモーセを救うために働いた女性たち、そのすべてを計画され導かれる神の姿が描かれています。とりわけ、神は御業を成し遂げられる時、必ず選ばれた人を通してなされるということを確かめることができ、また、興味深いことは、モーセを除いてのすべての登場人物が女性であって、その中でも二人のお母さんの活躍が際立っています。
まず、モーセの産みの母の信仰と献身の姿に心打たれます。本文では、彼女について、「レビの家にめとられたレビ人の娘」という紹介をしますが、後に分かる母親の名前は、ヨケベド(出6:20)であることが分かります。「彼女は身ごもり、男の子を産んだが、その子がかわいかったのを見て、三か月の間隠しておいた。(2節)」・・・ ここで、「かわいい」という言葉は、ヘブライ語で「トーブ」と言います。この言葉は、創世記1章で、神が天地創造される時に使われた「良し」という言葉と同じ言葉です。すなわち、モーセの母ヨケべドは、生まれてきた赤ちゃんの姿を見て、神が天地創造をされた時、とりわけ人を創造された時、「極めて良かった」という喜びと感動に包まれていたことが分かります。それだけではありません。彼女は、その赤ちゃんを宝物のように大切に隠しながらその命を守ろうとしていました。3ヶ月という間、最後の最後までできる限り生まれてきた赤ちゃんを守り抜いたのです。それだけではない。パピルスの籠を用意して、しっかりと防水をしてから、ナイル河畔の葦の茂みの間に置くという、母親としてやるべきことをしっかりやってから神の助けと御業を期待する産みの母ヨケべドの信仰が描かれています。
続けて、神はその信仰の答えとして一人の人を備えてくださいます。その備えられた一人の人こそ、モーセの育ての母であったファラオの王女でした。イスラエルの生まれてくる男の子を全部殺せ!と命じていた父親のファラオとは違って、王女は「泣いている赤ちゃんを見てふびんに、可哀想に思う心」の持ち主でした。もちろん彼女も、父親のファラオ王が出していた児童殺害の命令を知っていたはずでした。ですから、彼女の前で泣いている赤ちゃんは「死ぬべき存在」であることも分かっていました。しかし、彼女は赤ちゃんの姿を見てかわいそうに思い、その赤ちゃんを救おうと決心したわけです。ここに神が用いられる人に求められる最も大切な品性として「人を憐む」ということが強調されています。神はいつの時代にも「一人の命への深い憐みをもって関わる人」を用いられ、その人を通して御業を成し遂げていかれることを覚えましょう。
愛が冷え、子どもたちが無残にも殺されている現代社会です。神は星と輝く二人のお母さんとの共同作業を通して「神の人モーセ」の物語を完成させられたように、小泉町教会のお母さん方を用いてくださいますように…。
0 件のコメント:
コメントを投稿