2021年9月9日木曜日

2021.5.23 牧師室便り

 ~ 聖霊によって語るために悩む ~

「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。(使徒言行録1:8)」

ペンテコステ、おめでとうございます!!!聖霊が初代教会の上に降られた日から、キリストの教会と一人一人のキリスト者は聖霊の働きによって日々新たにされる恵みと感動に包まれて生きるように変わりました。まさしく、2000年間の教会の歴史こそ、聖霊の歴史であったわけです。初代教会からローマカトリックと東方教会の分裂、その後、中世の暗黒時期を経て、宗教改革によるプロテスタント諸教会の誕生と現在に至るまで、聖霊は時に適って教会の進むべき道を示され、働き人を起こされ、教会に世界を変える力を与えられたのです。そうです。ある教会が生きているか否かを知るためには、その教会が聖霊に満たされ、聖霊に導かれているのかということが判断の基準になるでしょう。とりわけ新型コロナウイルスをはじめ、世界的異常気候による被害、人種と民族、国家の間に絶えず繰り広げられている戦争と殺し合いの終末的兆候に覆われている世界的状況の中であるからこそ、聖霊の働きによらなければキリスト教会とキリスト者に委ねられている使命を果たすことはできないはずです。

そのため、小泉町教会の牧師として、常に聖霊に満たされることを望みつつ、何より御言葉を語るための黙想と研究において聖霊の知恵と助けを乞い求めています。しかし、自分の弱さと愚かさのゆえに聖霊の教えと導きに気づかず、父なる神の御心を正しく伝えていないことはないだろうかと悩むことも多々あります。「御言葉を語る」という働きは牧師としての一生の喜びであり、感動であり、また課題であり、重荷でもあると言えましょう。それほど、牧師個人の人間的能力や努力は聖霊の助けがなければ、何の意味もなくなってしまうのです。牧師になってもう20年。しかし、一度も緊張せずに講壇に立ったことはありませんし、これから主に召される日まで御言葉を語るための緊張感と悩みは続くでしょう。神の家族にぜひお祈りをお願いしたい。「閔牧師が聖霊によって御言葉を語れるように」と。…シャローム!


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