~ 価値観を変えよう ~
「というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。(一ペトロ2:21 ) 」
受難節のリビングライフのテキストはマタイによる福音書です。とりわけ受難節に入ってからは、主イエスが十字架に向かわれつつ、必死で弟子たちに十字架の意味と復活を教えようとしている姿が描かれています。しかし、弟子たちは主イエスが建てられる王国で、自分たちは何になろうかと燃え、誰が偉いのかということで争っていたことが分かります。
神の国の価値観を語られる主イエスの御心とは裏腹に、この世の価値観に心を奪われている弟子たちへの厳しいメッセージをいくつか紹介しますと、①わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい ②子どものように自分を低くしなければ天国には入れない ③七回どころか七の七十倍までも兄弟を赦しなさい ④金持ちが天国に入るのは難しい ⑤先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる、など…、しかしこれらの主イエスの御声は、2000年前のみならず、現代においても厳しく迫ってきていることに気づきます。
とりわけ受難節を過ごしている私たちキリスト者は、十字架の道を一歩一歩と進められる主イエスの足跡に従いつつ、神の国にふさわしい価値観に立って生きていくことを心がける時であると思います。東日本大震災10周忌を迎えるが、未だ苦しみの中にある方々を覚えます。また、新型コロナウイルスという未曾有の災難の前で多くの人が試練に遭い、苦しんでいる中、私たちキリスト者は神の国の価値観を貫くべきではないでしょうか。また、ミャンマーにおける軍によるクーデターで多くの人々が命を奪われる中で、世界に向けて助けを叫んでいる。…このような時代だからこそ、弱い人、小さな人、苦しむ人々への執り成しと支えが求められるのです。
イエス・キリストは、まことに弱い私たちのために十字架を背負い、贖いの道を歩まれました。そのイエス様の苦しみと十字架の贖いの前に悔い改めつつ、その愛の足跡についていくことを誓う神の家族の受難節でありますように…。シャローム!
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